2014年5月18日日曜日

寺山修司

てらやま しゅうじ 1935-1983 


『空には本』(1958)

とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を

わが通る果樹園の小屋いつも暗く父と呼びたき番人が棲む

海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり

そら豆の殻一せいに鳴る夕母につながるわれのソネット

夏川に木皿しずめて洗いいし少女はすでにわが内に棲む

吊るされて玉葱芽ぐむ納屋ふかくツルゲネエフをはじめて読みき

草の笛吹くを切なく聞きており告白以前の愛とは何ぞ

煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし

夏帽のへこみやすきを膝にのせてわが放浪はバスになじみき

蛮声をあげて九月の森に入れりハイネのために学をあざむき

ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駈けて帰らむ

雲雀の血すこしにじみしわがシャツに時経てもなおさみしき凱歌

傷つきてわれらの夏も過ぎゆけり帆はかがやきていま樹間過ぐ

灯台に風吹き雲は時追えりあこがれきしはこの海ならず

日あたりて遠く蝉とる少年が駈けおりわれは何を忘れし

歳月がわれを呼ぶ声にふりむけば地を恋う雲雀はるかに高し

日あたりて雲雀の巣藁こぼれおり駈けぬけすぎしわが少年期

わが夏をあこがれのみが駈け去れり麦藁帽子被りて眠る

やがて海へ出る夏の川あかるくてわれは映されながら沿いゆく

失いし言葉がみんな生きるとき夕焼ており種子も破片も

遠い空に何かを忘れて来しわれが雲雀の卵地にみつめおり

わが胸を夏蝶ひとつ抜けゆくは言葉のごとし失いし日の

海よその青さのかぎりないなかになにか失くせしままわれ育つ

空のなかにたおれいるわれをめぐりつつ川のごとくにうたう日々たち

駈けてきてふいにとまればわれをこえてゆく風たちの時を呼ぶこえ

一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し

父の遺産のたった一つのランプにて冬蝿とまれりわが頬の上

父の遺産のなかに数えむ夕焼はさむざむとどの畦よりも見ゆ

ゆくかぎり枯野とくもる空ばかり一匹の蝿もし失わば

冬の斧たてかけてある壁にさし陽は強まれり家継ぐべしや

北へ走る鉄路に立てば胸いづるトロイカもすぐわれを捨てゆく

さむきわが射程のなかにさだまりし屋根の雀は母かもしれぬ

冬菜屑うかべし川にうつさるるわれに敗者の微笑はありや

われの神なるやも知れぬ冬の鳩を撃ちて硝煙あげつつ帰る

夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず

そそくさとユダ氏は去りき春の野に勝ちし者こそ寂しきものを

胸にひらく海の花火を見てかえりひとりの鍵を音たてて挿す

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

(富沢赤黄男の俳句 「一本のマッチをすれば湖と霧」
 +「めつむれば祖国は蒼き海の上」より)


*「僕のノオト」(「空には本」後書き、1958年)より
 短歌をはじめてからの僕は、このジャンルを市民の信仰的な呟きから、もっと社会性(ユニヴァサリテ)をもったものにしたいと思いいたった。作意の回復と様式の再認識が必要なのだ。僕はまず作意をもった人たちが思想のために人間を失った場合の一つの例をみては自分をいましめた。われわれに興味があるのは思想ではなくて思想をもった人間なのであるから。
 また作意をもった人たちがたやすく定型を捨てたがることにも自分をいましめた。
 この定型詩にあっては本質などなくて様式があるにすぎない。様式はいわゆるウエイドレーの「天才の個人的創造でもなく、多数の合成的努力の最後の結果でもない、それはある深いひとつの共同性、諸々の魂のある永続的なひとつの同胞性の外面的な現われにほかならないから」である。
 しかしそれよりも作意をもたない人たちをはげしく侮蔑した。ただ冗漫に自己を語りたがることへのはげしいさげすみが、僕に意固地な位に告白性を失くさせた。
「私」性文学の短歌にとっては無私に近づくほど多くの読者の自発性になりうるからである。
 ロマンとしての短歌、歌われものとしての短歌の二様な方法で僕はつくりつづけてきた。そしてこれからあとの新しい方法としてこの二つのものの和合による、短歌で構成した交声曲などを考えているのである。




『血と麦』(1962)

地下水路をいま通りゆく暗き水の中にまぎれて叫ぶ種子あり

牛乳の空瓶舐めている猫とひとりのわれと何奪りあわむ

きみのいる刑務所とわがアパートを地中でつなぐ古きガス管

さむき川をセールスマンの父泳ぐその頭いつまでも潜ることなし

黒人に生まれざるゆえあこがれき野性の汽罐車、オリーブ、河など

老犬の血のなかにさえアフリカは目ざめつつありおはよう、母よ

君たちの呼びあう声の川ぎしにズボンをめくりあげてわれあり

しずかなる車輪の音す目つむりて勝利のごとき空を聴くとき

一本の樫の木やさしそのなかに血は立ったまま眠れるものを

わが埋めし種子一粒も眠りいむ遠き内部にけむる夕焼

たそがれの空は希望のいれものぞ外套とビスケットを投げあげて

空は本それをめくらむためにのみ雲雀もにがき心を通る

二夜つづけて剃刀の夢見たるのみ冬田は同じ幅に晴れたり

ねじれたる水道栓を漏るる水舐めおり愛されかけている犬

パンとなる小麦の緑またぎ跳びそこより夢のめぐるわが土地

目の前にありて遥かなレモン一つわれも娶らむ日を怖るなり

死ぬならば真夏の波止場あおむけにわが血怒濤となりゆく空に

すでに亡き父への葉書一枚もち冬田を越えて来し郵便夫

厨にてきみの指の血吸いやれば小麦は青し風に馳せつつ

齢きて娶るにあらず林檎の木しずかにおのが言葉を燃やす

乾葡萄喉より舌へかみもどし父となりたしあるときふいに


『田園に死す』(1965)

大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ

新しき仏壇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥

売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき

間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子

亡き母の真赤な櫛で梳きやれば山鳩の羽毛抜けやまぬなり

村境の春や錆びたる捨て車輪ふるさとまとめて花いちもんめ

いまだ首吊らざりし縄たばねられ背後の壁に古びつつあり

ほどかれて少女の髪にむすばれし葬儀の花の花ことばかな

売られたる夜の冬田へ一人来て埋めゆく母の真赤な櫛を

念仏も嫁入り道具のひとつにて満月の夜の川渡り来る

子守唄義歯もて唄いくれし母死し炉辺に義歯をのこせり

てのひらの手相の野よりひつそりと盲目の鴨ら群立つ日あり

七草の地にすれすれに運ばれておとうと未遂の死児埋めらるる

白髪を洗ふしづかな音すなり葭切やみし夜の沼より

かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭

死児埋めしままの田地を買ひて行く土地買人に 子無し

わが切し二十の爪がしんしんとピースの罐に冷えてゆくらし

老父ひとり泳ぎをはりし秋の海にわれの家系の脂泛きしや

亡き父の歯刷子一つ捨てにゆき断崖の青しばらく見つむ

吸ひさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず

挽肉器にずたずた挽きし花カンナの赤のしたたる わが誕生日

修繕をせむと入りし棺桶に全身かくれて桶屋の……叔父

米一粒こぼれてゐたる日ざかりの橋をわたりてゆく仏壇屋

針箱に針老ゆるなりもはやわれと母との仲を縫ひ閉ぢもせず

義肢村の義肢になる木に来てとまる鵙より遠く行くこともなし

おとうとの義肢作らむと伐りて来しどの桜木も桜のにほひ

とばすべき鳩を両手でぬくめれば朝焼けてくる自伝の荒野

つひに子を産まざりしかば揺籠に犬飼ひてゐる母のいもうと

刺青のごとく家紋がはりつきて青ざめてゐむ彼等の背中


『テーブルの上の荒野』(1971)

女優にもなれざりしかば冬沼にかもめ撃たるる音聴きてをり

テーブルの上の荒野をさむざむと見下すのみの劇の再会

町裏で一番さきに灯ともすはダンス教室わが叔父は 癌

「ここより他の場所」を語れば叔父の眼にばうばうとして煙るシベリア

古着屋の古着のなかに失踪しさよなら三角また来て四角

独身のままで老いたる叔父のため夜毎テレビの死霊は(きた)

酔ひどれし叔父が帽子にかざりしは葬儀の花輪の中の一輪

たった一人の長距離ランナー過ぎしのみ雨の土曜日何事もなし

洗面器に嘔吐せしもの捨てに来しわれの心の中の逃亡

地下鉄の真上の肉屋の秤にて何時もかすかに揺れてゐるなり

寿命来て消ゆる電球わがための「過去は一つの母国」なるべし

ダンス教室その暗闇に老いて踊る母をおもへば 堕落とは何?

亡き父の靴のサイズを知る男ある日訪ねて来しは 悪夢

幾百キロ歩き終りし松葉杖捨てられてある老人ハウス

冬の犬コンクリートににじみたる血を舐めてをり陽を浴びながら

いたく錆びし肉屋の鉤を見上ぐるはボクサー放棄せし男なり

目のさめるごとき絶望つひになし工場の外の真青な麦

田園に母親捨ててきしことも血をふくごとき思ひ出ならず

人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ

撃たれたる小鳥かへりてくるための草地ありわが頭蓋のなかに

わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る

北窓に北のいなづま光る夜をまだ首吊らぬ一本の縄

妊みつつ屠らるる番待つ牛にわれは呼吸を合わせてゐたり

縊られて一束の葱青かりき出奔以前の少年の日ゆ



2014年5月11日日曜日

病と短歌

中城ふみ子 なかじょう ふみこ 1922-1954
  
音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる

灼きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ

冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無残を見むか

背のびして唇づけ返す春の夜のこころはあはれみづみづとして

脱衣せる少女のごとき白き葱水に沈めて我はさびしゑ

かがまりて君の靴紐結びやる卑近なかたちよ倖せといふは

きられたる乳房黝(くろ)ずむことなかれ葬りをいそぐ雪ふりしきる

失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ

出奔せし夫が住むといふ四国目とづれば不思議に美しき島よ

新しき妻とならびて彼の肩やや老けたるを人ごみに見つ

無き筈の乳房いたむとかなしめる夜々もあやめはふくらみやまず

この夜額に紋章のごとかがやきて瞬時に消えし口づけのあと

草はらの明るき草に寝ころべり最初より夫など無かりしごとく

灯を消してしのびやかに隣に来るものを快楽(けらく)の如くに今は狎()らしつ

身に副へる何の悲哀か螺旋階段登りつめれば降りる外なし

ゆつくりと膝を折りて倒れたる遊びの如き終末も見え

死後のわれは身かろくどこへも現れむたとへばきみの肩にも乗りて


小中英之 こなか ひでゆき 1937-2001

昼顔のかなた炎えつつ神神の領たりし日といづれかぐはし

氷片にふるるがごとくめざめたり患むこと神にえらばれたるや

月射せばすすきみみづく薄光りほほゑみのみとなりゆく世界

遠景をしぐれいくたび明暗の創(きず)のごとくに水うごきたり

花びらはくれなゐうすく咲き満ちてこずゑの重さはかりがたしも

身辺をととのへゆかな春なれば手紙ひとたば草上に燃す

螢田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹とあひたり

鶏ねむる村の東西南北にぼあーんぼあーんと桃の花見ゆ

死ぬる日をこばまずこはず桃の花咲く朝ひとりすすぐ口はも

つはぶきの花は日ざしをかうむりて至福のごとき黄の時間あり

六月はうすずみの界ひと籠に盛られたる枇杷運ばれて行く

無花果のしづまりふかく蜜ありてダージリンまでゆきたき日ぐれ

春をくる風の荒びやうつし身の原初(はじめ)は耳より成りたるならむ

今しばし死までの時間あるごとくこの世にあはれ花の咲く駅

芹つむを夢にとどめて黙ふかく疾みつつ春の過客なるべし

みづからをいきどほりつつなだめつつ花の終りをとほく眺めつ

花馬酔木いく夜か白しうらがなしふくろふ星雲うるむ夜あらむ


座につきてあはれ箸とる行為さへあと幾年のやさしさならむ