2013年7月7日日曜日

2013現代名歌小選 期末レポート(短歌創作)参考として

☆学期末のレポートとして、短歌創作を選ぶ人たちのために現代の短歌から参考作品を掲げておきます。たくさん選んだようでも、ここに掲げたのはごくわずかな歌人たちであり、作品もごくごくわずかです。
 この授業では、もっと古い近代の短歌を中心に読んできましたが、創作にあたっては、より広い新しい作り方も可能です。近代短歌の枠のみに無理に自分の創作をはめて狭めないように、これらを参考にしてください。
 



俵 万智
今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海
なんでもない会話なんでもない笑顔なんでもないからふるさとが好き
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
「寒いね」と話かければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ一本で言ってしまっていいの
「また電話しろよ」「待ってろ」いつもいつも命令形で愛を言う君
さくらさくらさくら咲き初め咲き終りなにもなかったかのような公園
男というボトルをキープすることの期限が切れて今日は快晴        
はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり
寄せ返す波のしぐさの優しさにいつ言われてもいいさようなら
愛された記憶はどこか透明でいつでも一人いつだって一人        


米川千嘉子
〈女は大地〉かかる矜持のつまらなさ昼桜湯はさやさやと澄み      
やはらかく二十代批判されながら目には見ゆあやめをひたのぼる水
桃の蜜てのひらの見えぬ傷に沁む若き日はいついかに終らむ
春の鶴の首打ちかはす鈍き音こころ死ねよとひたすらに聴く
さやさやとさやさやと揺れやすき少女らを秋の教室に苦しめてをり
ねぢれゆく時間のなかにまどろめば覚めて(つま)と子ふとあらざるべし    
幼き子にはじめての虹見せやればニギといふその()しきにふるへ


大西民子
おのずから意識遠のき豆電球のごとくになりてしまふときあり 
洋傘へあつまる夜の雨の音さびしき音を家まではこぶ
道のべの紫苑の花も過ぎむとしたれの決めたる高さに揃ふ
わかち持つ遠き憶ひ出あるに似てひそかにゐたり埴輪少女と
疑はず軍手と呼びて使ひ来ぬ今もそのまま洗へば白し
目に見ゆるこころの如くナプキンのかたちやさしくたたまれゐたり    
降りやまぬ雨の奥よりよみがへり挙手の礼などなすにあらずや   


山崎方代
こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり      
母の名は山崎けさのと申します日の暮方の今日の思いよ
黒き葉はゆれやまざりき犬死の覚悟をきめてゆくほかはなし
一生をこせこせ生きてゆくことのすべては鼻の先に出ている
おもいきり転んでみたいというような遂のねがいが叶えられたり


永井陽子
夜は夜のあかりにまわるティーカップティーカップまわれまわるさびしさ 
触れられて哀しむように鳴る音叉 風が明るいこの秋の野に        
うつむきてひとつの愛を告ぐるときそのレモンほどうすい気管支
べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊  
ここはアヴィニョンの橋にあらねど♩♩♩曇り日のした百合もて通る
十人殺せば深まるみどり百人殺せばしたたるみどり安土のみどり  
少女はたちまちウサギになり金魚になる電話ボックスの陽だまり
ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり
のぎへんの林に入りてねむりたり人偏も行人偏もわすれて
洋服の裏側はどんな宇宙かと脱ぎ捨てられた背広に触れる
冬瓜が次第に透明になりゆくを見てをれば次第にしにたくなりぬ 
錠剤を見つむる日暮れ ひろごれる湖よこの世にあらぬみづうみ


河野裕子  
逆立ちしておまへがおれを眺めてた たつた一度きりのあの夏のこと
陽にすかし葉脈くらきをみつめをり二人のひとを愛してしまへり
たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
森のやうに獣のやうにわれは生く群青の空耳研ぐばかり 
夏帽子すこしななめにかぶりゐてうつ向くときに眉は長かり
振りむけばなくなりさうな追憶の ゆふやみに咲くいちめんの菜の花
言ひかけて開きし唇の濡れをれば今しばしわれを娶らずにゐよ
たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
さびしさよこの世のほかの世を知らず夜の駅舎に雪を見てをり
象の鼻先が土すれすれに揺れてゐる寂しさを言ふは容易(たやす)からずも
会ふたびにらつきよのやうになりてゆく小さなあたまの人なり母は
長くてもあと三十年しか無いよ、ああ、と君は応ふ椋の木の下
君を打ち子を打ち()けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る    
真剣に子を憎むこと多くなり打つこと少くなり今年のやんま
寂しさを知り分けし子が母を呼ぶ草笛よりも(ほそ)きそのこゑ


香川ヒサ
人あまた乗り合う夕べのエレヴェーター升目の中の鬱の字ほどに
かさはさか きゆはあはゆき くさはさく 循環バスは渋滞の中
白き雲鯨と思へば鯨にて鰐と思へば鰐なるが浮く
フセインを知らざるわれはフセインと呼ばるる画像をフセインと思ふ
タバスコを振り過ぎ「ありゃ・りゃ」と言ひたれど誰もをらねば「りゅ・りょ」と続ける
二つとも旨いそれとも一つだけまたは二つともまづい桃二個
その存在そのものがすでに悪なれば抹殺せねばならぬゴキブリ
トーストが黒こげになるこのことはなかったといふことにしませう
語りえぬことを言葉が語らせる例えば神の計画などを
人あまた行く夕暮の地下街を無差別大量の精神過ぎる
ひとひらの雲が塔からはなれゆき世界がばらば らになり始む
わたしには世界の果ての私がコーヒーカップをテーブルに置く
洪水の以前も以後も世界には未来がありぬいたしかたなく
何時間ここにゐたのか見つめゐる石の白さを言葉にしたら
往還の道の辺にある丸き石 とてもこれには勝てそうにない
冬の雨遠き広場に水溜り作りてをらむ 見なくともわかる
〈はじめに言葉があつた〉 幼な児が眼みはつて嘘をついてる


中城ふみ子  
音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる
灼きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ
冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無残を見むか
背のびして唇づけ返す春の夜のこころはあはれみづみづとして
脱衣せる少女のごとき白き葱水に沈めて我はさびしゑ
かがまりて君の靴紐結びやる卑近なかたちよ倖せといふは
きられたる乳房黝(くろ)ずむことなかれ葬りをいそぐ雪ふりしきる
失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ
出奔せし夫が住むといふ四国目とづれば不思議に美しき島よ
新しき妻とならびて彼の肩やや老けたるを人ごみに見つ
無き筈の乳房いたむとかなしめる夜々もあやめはふくらみやまず
この夜額に紋章のごとかがやきて瞬時に消えし口づけのあと
草はらの明るき草に寝ころべり最初より夫など無かりしごとく
灯を消してしのびやかに隣に来るものを快楽(けらく)の如くに今は狎()らしつ
身に副へる何の悲哀か螺旋階段登りつめれば降りる外なし
ゆつくりと膝を折りて倒れたる遊びの如き終末も見え
死後のわれは身かろくどこへも現れむたとへばきみの肩にも乗りて



2013年6月23日日曜日

与謝野晶子 2

よさの あきこ
1878-1942年(明治11年―昭和17年) 
堺県堺区甲斐町西1丁(現在の大阪府堺市堺区甲斐町西1丁)生。東京都で死去。





この年の春より夏へかはる時(やまひ)ののちのおち髪ぞする        

(こずゑ)より音して落つる(ほほ)の花白く夜明くるここちこそすれ

やはらかに心の濡るる三月の雪解(ゆきげ)の日よりむらさきを著る

()(もと)に落ちて青める白椿われの湯浴(ゆあみ)に耳をかたぶく

人並(ひとなみ)に父母を持つ身のやうにわがふるさとをとひ給ふかな

(すず)となり(しろがね)なりうす赤きあかざの原を水の流るる

秋の夜の()かげに一人もの縫へば小き虫のここちこそすれ

芝居よりかへれば君が文つきぬわが世もたのしかくの如くば

藤の花わが手にひけばこぼれたりたよりなき身の二人ある(ごと)

うき草の中より(うを)のいづるごと夏木立をば上りくる月

飽くをもて恋の終と思ひしに(この)さびしさも恋のつづきぞ

おのれこそ旅ごこちすれ一人ゐる昼のはかなさ()のあぢきなさ

おなじ世のこととは何のはしにさへ思はれがたき日をも見るかな

人の世の掟の上のよきこともはたそれならぬよきこともせん     

むかしの日姉とおもひし桜草いもうととして君と(つちか)

うすものの夏も寒げに見ゆるまで痩せたる人となりにけるかな

廊などのあまり長きを歩むとき尼のここちす春のくれがた

()()咲きぬさびしき白と火の色とならべてわれを悲しくぞする

夏来ればすべて目を()く鏡見て人にまさるとするもこれより

われは()し生まれながらにまぼろしをうちともなへる眼とおもふかな

三千里わが恋人のかたはらに柳の絮の散る日にきたる

初夏やブロンドの髪くろき髪ざれごとを云ふ石のきざはし

四つ辻の薔薇を積みたる車よりよき()ちるなり初夏の雨

くれなゐの(さかづき)に入りあな恋し(うれ)しなど云ふ細き麦わら

ああ皐月(さつき)()(ラン)西()の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(コクリコ)

物売にわれもならまし初夏のシヤンゼリゼエの青き()のもと

生きて世にまた見んことの(かた)からば悲しからまし暮れゆく巴里(パリイ)

旅びとの涙なれどもなごやかに流るるものか夜の巴里に

寺へ行く薔薇いろの()とすれちがふ石坂道の夏の朝かぜ

夏川のセエヌに臨むよき酒場フツクの(しやう)雛罌粟(コクリコ)の花

月さしぬロアルの河の水上(みなかみ)夫人(マダム)ピニヨレが石の山荘

巴里なるオペラの前の大海(おほうみ)にわれもただよふ夏の夕ぐれ

はだへよりはだへに吹きてなまめかし芝居の廊の夏のそよ風

(いづ)れぞや我がかたはらに子の無きと子のかたはらに母のあらぬと

セエヌ川船上る時見馴(みな)れたる夕の橋のくらきむらさき

酒場(キヤバレイ)の地獄の給仕かのこともその日の(わざ)も見透かして云ふ

この人はなにを(あきな)ふ恋びとの(あか)きなみだとしろき涙と

四十日(よそか)ほど寐くたれ髪の我がありしうす水色の船室を出づ

子を思ひ一人かへるとほめられぬ苦しきことを()めたまふかな

心中をせんと泣けるや雨の日の白きこすもす(あか)きこすもす     

朝顔や物のかげにも一つ咲くひるがほめきしはかなさをもて

小鳥きて少女(をとめ)のやうに身を洗ふ木かげの秋の水たまりかな

初春のうら(じろ)の葉やかけなまし少し恨みのまじる心に
老いぬらん去年(こぞ)一昨年(をとどし)の唯ごとのそのなつかしさ極まりもなし

白き雲遠方(をちかた)ならで此処(ここ)にこよ()れもよかれし橋のてすりに         

菊咲きてまだらになりぬ早くよりもみぢしつるもまじる草むら

秋といふ(いき)ものの(きば)夕風の中より見えて寂しかりけり

しろがねの一艘の船うかび出でゆきもどりすれ秋のこころに

(かり)の身も水また雲のいにしへにいささかかへるここちす秋は

西京(さいきやう)友禅(いうぜん)描きに売りなましまぼろしとのみ遊ぶ男を

こころにも花を刺繍(ぬひ)しぬうすものの衣をめづる夏の女は

朝顔はわがありし日の姿より少しさびしき水色に咲く

かにかくも君は君のみ知る世界われはわれのみ見つる日を待つ

白き桶三つ四つおかれ切なげにかなかな鳴ける夏木立かな

全身を口びるのごと吸ふ波をややうとましく思へる夕

白やかにはなればなれに降る雨は男のごとし夏の夕に

海の上つりがね草のふくろよりやや赤ばみて夕立ぞ降る

夏の日の夕立まへの大空のしづかならぬが身にしみぬわれ

白雲が水噴き上ぐるさましたる御空(みそら)のもとの夕ぐれの風

水だまり五月(さつき)の雨にくだけたる薔薇を浮けたり白鳥(しらとり)のごと

とけ合はぬ絵具(ゑのぐ)のごとき雲ありて春の夕はものの思はる

まぼろしが幻として()ぬ薬われのみぞ持つ君のみぞ持つ         

女より選ばれ君を男より選びしのちのわが世なりこれ

あな恋し琥珀の色の冬の日のなかに君あり椿となりて

目のまへに春の来たりしよろこびの外に唯今何ごともなし





2013年6月16日日曜日

前川佐美雄

まえかわ さみお
1903年-1990年(明治36年-平成2年)
奈良県南葛城群忍海村(現葛城市)生まれ。神奈川県茅ケ崎市で死去。





なにゆゑに(へや)は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす      
  
春になり(さかな)がいよいよなまぐさくなるをおもへば生きかねにけり

ひじやうなる白痴の僕は自転車屋にかうもり傘を修繕にやる

戦争のたのしみはわれらの知らぬこと春のまひるを眠りつづける

いますぐに君はこの街に放火せよその焔の何んとうつくしからむ

胸のうちいちど空にしてあの青き水仙の葉をつめこみてみたし

鶏のたまごがわれて黄なりしを朝がたさむくひとり見てをり

串にさしし蝗子らはいまだ死にきらずそのけりあしを頻りけりあひ

六月のある日のあさの嵐なりレモンをしぼれば露あをく垂る

遠い空が何といふ白い午後なればヒヤシンスの鉢を窓に持ち出す

こつこつと壁たたくとき壁のなかよりこたへるこゑはわが声なりき

おとうとがアルコール詰にしてゐるは身もちの守宮(やもり)(かな)しき()をせり

あたたかい日ざしを浴びて見てをれば何んといふ重い春の植物

夕ぐれの野をかへる馬の背後(うしろ)見て祖先のやうなさびしさをしぬ        

父の名も母の名もわすれみな忘れ不敵なる石の花とひらけり

たつた一人の母狂はせし夕ぐれをきらきら光る山から飛べり

ゆふ風に萩むらの萩咲き出せばわがたましひの通りみち見ゆ

或る日われ道歩きゐれば埃立ちがらがらと遠き街くづれたり

紫陽花(あぢさゐ)の花を見てゐる雨の日は肉親のこゑやさしすぎてきこゆ

悪事さへ身に()みつかぬ悲しさを曼珠沙(まんじゆしや)()咲きて雨に打たるる

春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ

何ひとつ身に(きず)などはもたなくにむかし母よりわれは生れき         

海鼠(なまこ)さへうすむらさきに眠りゆく暮春のころはいつそ海鼠に

国のまはりは荒波の海と思ふとき果てしなくとほき春鳥のこゑ

野にかへり野に爬虫類をやしなふはつひに復讐にそなへむがため

いきものの人ひとりゐぬ野の上の空の青さよとことはにあれ

野にかへり春億万の花のなかに探したづぬるわが母はなし

いちまいの魚を透かして見る海は青いだけなる春のまさかり

ひもすがら青葉のおくにねむるゆゑうすぐらい魚の(たに)(みづ)のぼる

花あかき椿のかげの石を見る石は水を溜めてすでに老いたり

晩酌は五勺ほどにて世の嘆きはやわが身より消えむとぞする         

春鳥はまばゆきばかり鳴きをれどわれの悲しみは混沌として

われ死なばかくの如くにはづしおく眼鏡(めがね)一つ棚に光りをるべし         

散れるだけ花よ散れよと桃の花振りはらひしをまた瓶に挿す

二十年前のタキシイドわれは取り出でぬ恋の晩餐に行くにもあらず

切り炭の切りぐちきよく美しく火となりし時に恍惚とせり

夕焼のにじむ白壁に声絶えてほろびうせたるものの爪あと

鹿の鳴く飛火野あたり草にゐて黒人兵士さびしき眼せり

ほろびゆくつひの終りを守りあへずわが身をすらも幻にしき        

葛城の夕日にむきて臥すごときむかしの墓はこゑ絶えてある







2013年6月9日日曜日

北原白秋

きたはら はくしゅう 
1885年ー1942年(明治18年ー昭和17年)
熊本県南関生まれ。福岡県柳川育ち。東京で死去。





春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと()()の草に日の入る夕べ

しみじみと物のあはれを知るほどの少女(をとめ)となりし君とわかれぬ

いやはてに()(こん)ざくらの花咲てちりそめぬれば五月(さつき)はきたる

葉がくれに青き()を見るかなしみか花ちりし日のわが思ひ出か

ヒヤシンス薄紫に咲きにけり早くも人をおそれそめつつ

かくまでに黒くかなしき色やあるわが思ふひとの春のまなざし

君を見て(はな)梔子(くちなし)を嗅ぐごとき(むな)さわぎをばおぼえそめにき

寝てきけば(しゆん)()のとよみ泣くごとしスレート屋根に月の光れる

ゆく水に赤き日のさし水ぐるま春の川瀬にやまずめぐるも

一匙のココアのにほひなつかしく(おとな)ふ身とは知らしたまはじ

あまりりす息もふかげに燃ゆるときふと唇はさしあてしかな

くれなゐのにくき唇あまりりすつき放しつつ君をこそおもへ

くさばなのあかきふかみにおさへあへぬくちづけのおとのたへがたきかな

ゆふぐれのとりあつめたるもやのうちしづかにひとのなくねきこゆる

薄暮(たそがれ)水路(すゐろ)に似たる心ありやはらかき夢のひとりながるる

病める兒はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし畑の黄なる月の出

日の光金絲(カナリ)()のごとく(ふる)ふとき硝子に()れば人のこひしき

手にとれば桐の反射の薄青き新聞紙こそ泣かまほしけれ

山羊の乳と山椒のしめりまじりたるそよ風吹いて夏は来りぬ

指さきのあるかなきかの青き傷それにも夏は染みて光りぬ

草わかば色鉛筆の赤き粉ちるがいとしく寝て削るなり

サラダとり白きソオスをかけてましさみしき春の思ひ出のため

さくらんぼいまださ青に光るこそ悲しかりけれ花ちりしのち

金口(きんぐち)の土耳古煙草のけむりよりなほゆるやかに燃ゆるわが戀

やはらかに()が喫みさしし珈琲(コオヒイ)ぞ紫の吐息ゆるくのぼれる

よき椅子に黒き猫さへ来てなげく初夏晩春の濃きココアかな

カステラの黄なるやはらみ新しき味ひもよし春の暮れゆく

まひる野の玉葱の花紫蘇の花小石けりつつ君とわかるる

いつしかに春も名残となりにけり昆布干場のたんぽぽの花

さしむかひ二人暮れゆく夏の日のかはたれの空に桐の匂へる

ほのぼのと人をたづねてゆく朝はあかしやの木にふる雨もがな

青柿のかの柿の木に小夜ふけて白き猫ゆくひもじきかもよ

白き猫膝に抱けばわがおもひ音なく暮れて病むここちする

いそいそと広告塔も廻るなり春のみやこのあひびきの時

きりぎりすよき(たは)れ女がひとり寝て氷食む日となりにけるかな

人妻のしみみ汗ばみ乳をしぼる硝子杯(コツプ)のふちの薄きかがやき

栗の花四十路(よそぢ)過ぎたる髪結の日暮はいかにさびしかるらむ

湯上りの()いた娘がふくよかに足の爪剪る石竹の花

麻酔の前鈴虫鳴けり窓辺には紅く小さき朝顔のさく

夏はさびしコロロホルムに痺れゆくわがこころにも啼ける鈴虫

燕、燕、昼の麻酔のさめがたに宙がへりして啼くはさびしも

ほのかなる水くだもののにほひにもかなしや心疲れむとする

長廊下いろ薄黄なる水薬の瓶ひとつ持ち秋は来にけり

秋の草白き石鹸(しやぼん)の泡つぶのけはひ幽かに花つけてけり

ひいやりと剃刀ひとつ落ちてあり鶏頭の花黄なる初秋

黄なる日に錆びし姿見(すがた)()てりかへし人あらなくに百舌啼きしきる

ふくらなる羽毛()襟巻()のにほひを新しむ十一月の朝のあひびき

いと長き街のはづれの君が住む八丁目より冬は来にけむ

電柱の白き碍子(がいし)()み細く雨はそそげり冬きたるらし

寂しさに赤き硝子を透かし見つちらちらと雪のふりしきる見ゆ

厨女(くりやめ)の白き前掛しみじみと青葱の香の()みて雪ふる

君かへす朝の(しき)(いし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ

雪の夜の紅きゐろりにすり寄りつ人妻とわれと何とすべけむ

わかき日は赤き胡椒の実のごとくかなしや雪にうづもれにけり

つくづくと昼のつかれをうらがへしけふもランプを点すなりけり

なまけものなまけてあればこおひいのゆるきゆげさへもたへがたきかな

ひとすぢの香の煙のふたいろにうちなびきつつなげくわが戀

君と見て一期の別れする時もダリヤは紅しダリヤは紅し

驚きてふと見つむればかなしきかわが足の指も泣けるなりけり

時計の針(いち)とⅠとに来たるときするどく君をおもひつめにき






2013年6月2日日曜日

斉藤茂吉 3

さいとうもきち
1882年ー1953年(明治15年ー昭和28年)
山形県南村山郡金瓶(かなかめ)村(現在の上山市金瓶)生。東京で死去。





冬の鯉の内臓も皆わが胃にてこなされにけりありがたや 

雪の上にかげをおとせる杉木立その影ながしわれの来しとき

歯科医よりかへり来たりて一時間あまり床中(しやうちゆう)に這入りゐしのみ

両岸(もろぎし)にかぶさるごとく雪つみて早春(はやはる)の川()(かさ)まされる

ひとり言われは言はむかしかすがに一首の歌も骨が折れるなり

外出より帰り来りて靴下をぬぎ足袋に穿きかへにけり(なに)(ゆゑ)

春の()むけはひといへどあまのはら一方(ひとかた)はれて一方(ひとかた)くもる

名残とはかくのごときか塩からき魚の目玉をねぶり居りける

(ひと)(ふゆ)を降りつみし雪わが(そば)に白きいはほのごとく()のこる

あまづたふ日は高きより照らせれど最上川の浪しづまりかねつ

道のべに()()の花咲きたりしこと何か罪ふかき感じのごとく

ほがらほがらのぼりし月の下びにはさ霧のうごく(よる)の最上川

まどかなる月はのぼりぬ二わかれながるる川瀬(あか)くなりつつ

月読ののぼる光のきはまりて大きくもあるかふゆ最上川

まどかなる月の照りたる最上川川瀬のうへよ霧見えはじむ

まどかなる月やうやくに傾きて最上川のうへにうごく(さむ)(もや)

ふる雪の降りみだるれば岡の上の杉の木立(こだち)もおぼろになりぬ

雪の中より小杉(こすぎ)ひともと出でてをり或る時は(しやう)あるごとくうごく

あまぎらし降りくる雪のおごそかさそのなかにして最上川のみづ

ふゆ寒く最上川べにわが住みて心かなしきをいかにかもせむ

最上川ながれさやけみ時のまもとどこほることなかりけるかも

足元の雪にまどかなる月照れば青ぎる光ふみてかへるも

横ざまにふぶける雪をかへりみむいとまもあらず橋をわたりつ

けふ一日(ひとひ)雪のはれたるしづかさに小さくなりて日が山に入る

数十年の過去(くわこ)()となりしうら若きわが存在(そんざい)はいま夢となる

眼下(まなした)を大淀なして流れたる最上の川のうづのおと聞こゆ

最上川雪を浮ぶるきびしさを来りて見たりきさらぎなれば

老いし歯の痛みゆるみしさ夜ふけは何といふわが心のしづかさ

白き()はいまだかしこにあるらしくみだれ降りたる雪やまむとす

なげかひを今夜(こよひ)はやめむ最上川の石といへども(つね)ならなくに

ぬばたまの夜空に鷺の啼くこゑすいづらの水におりむとすらむ

いたきまでかがやく春の日光に蛙がひとつ息づきてゐる

最上川のなぎさに近くゐたりけりわれのそがひはうちつづく雪

かげる山てりかへる山もろともに雪は真白に降りつもりたる

まなかひに見えをる山の雪げむりたちまちにしてひくくなりたり

あまつ日の光あたれる山なみのつづくを見れば白ききびしさ

かたはらに黒くすがれし()の実みて雪ちかからむゆふ山をいづ

こもりより吾がいでくればとほどほに雪うるほひていまぞ春()

人は(もちひ)のみにて生くるものに非ず漢訳聖書はかくもつたへぬ

全けき鳥海山はかくのごとからくれなゐの夕ばえのなか

両岸(りやうがん)をつひに浸してあらそはず最上川のみづひたぶる流る

わが心今かおちゐむ最上川にぶき光のただよふ見れば

濁水(だくすゐ)に浮び来りて速し速しこの大き河にしたがへるもの

河鹿鳴くおぼろけ川の水上にわが居るときに日がかたぶきぬ

城山をくだり来て川の瀬にあまたの河鹿(かじか)聞けば楽しも

年老いて(われ)(きた)りけりふかぶかと八郎潟に梅雨(つゆ)の降るころ

北へ向ふ船のまにまに見えて来しひくき陸山(くがやま)くろき前山(さきやま)

あま雲のうつろふころを大きなるみづうみの水ふりさけむとす

われもまた現身(うつせみ)なれば悲しかり山にたたふるこの(うみ)に来て

常なしと吾もおもへど見てゐたり田沢湖(たざはこ)の水のきはまれるいろ

山のべにうすくれなゐの胡麻の花過ぎ行きしかば沁むる日のいろ

かば色になれる胡瓜(きうり)を持ち(きた)り畳のうへに並べて居りき

峡のうへの高原(たかはら)にして湧きいづる湯を楽しめば何かも云はむ

のぼり()(ひぢ)(をり)の湯はすがしけれ(まなこ)つぶりながら()ぶるなり

朝市(あさいち)に山のぶだうの()ゆきを()みたりけりその真黒(まくろ)きを

川のおと山にひびきて聞こえをるその川のおと吾は見おろす

あけび一つ机の上に載せて見つ惜しみ居れども明日(あす)は食はむか

栗の実もおちつくしたるこの山に一時(ひととき)を居てわれ去らむとす

斧のおと向ひの山に聞こゆるを間近くのごと聞かくし好しも

さまざまの虫のむらがり鳴く声をひとつの声と聞く時あるも