2014年4月28日月曜日

社会の動きの中の自分 (2)

奥村晃作 おくむら こうさく(一九三六年~)


ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く

もし豚をかくの如くに詰め込みて電車走らば非難起こるべし

これ以上平たくなれぬ吸殻が駅の階段になほ踏まれをり

わたくしはここにゐますと叫ばねばずるずるずるずるおち行くおもひ

一日中時間を持つになほ忙しわれはどこかがまちがつてゐる

然ういへば今年はぶだう食はなんだくだものを食ふひまはなかつた

次々に走り過ぎ行く自動車の運転をする人みな前を向く

ぐらぐらと揺れて頭蓋がはづれたりわれの内側ばかり見てゐて

洗濯もの幾さを干して掃除してごみ捨てて来て怒りたり妻が

歩かうとわが言ひ妻はバスと言ひ子が歩こうと言ひて歩き出す

巨きなる帚の先で自動車を掃き集め海に捨てて来しゆめ

あの鶏はなぜいつ来ても公園を庭の如くに歩いてゐるか

舟虫の無数の足が一斉にうごきて舟虫のからだを運ぶ

ラッシュアワー終りし駅のホームにて黄なる丸薬踏まれずにある

イヌネコと蔑(なみ)して言ふがイヌネコは一切無所有の生を完(まつた)うす

不思議なり千の音符のただ一つ弾きちがへてもへんな音がす

犬はいつもはつらつとしてよろこびにからだふるはす凄き生きもの

梅の木を梅と名付けし人ありて疑はず誰も梅の木と見る

海に来てわれは驚くなぜかくも大量の水ここにあるのかと

母は昔よい顔してたが現在はよい顔でないことの悲しさ

百人の九十九人が効かないと言ったって駄目 オレには効いた




2014年4月21日月曜日

社会の動きの中の自分 (1)

岡井 隆(1928年~)


歌といふ傘をかかげてはなやかに今わたりゆく橋のかずかず

わがうちをぎらありぎらり光りつつ人まろがゆき家持がすぐ

存在のはじめよりして呪われし和歌のごとくに生き残りたり

母の内に暗くひろがる原野ありてそこ行くときのわれ鉛の兵

父よ その胸郭ふかき処にて梁からみ合うくらき家見ゆ

眠られぬ母のためわが誦む童話母の寝入りし後王子死す

渤海のかなた瀕死の白鳥を呼び出してをり電話口まで

説を替えまた説をかうたのしさのかぎりも知らに冬に入りゆく

右翼の木そそり立つ見ゆたまきはるわがうちにこそ茂りたつみゆ

群集を狩れよ おもうにあかねさす夏野の朝の「群れ」に過ぎざれば

おれは狩るおれの理由を かの夏に悔しく不意に見うしないたる

以上簡潔に手ばやく叙し終りうすむらさきを祀る夕ぐれ

薔薇抱いて湯に沈むときあふれたるかなしき音を人知るなゆめ

海中(わたなか)へ降りて行かむとねがひたる或る夜の芯に糸杉の渦

原子炉の火ともしごろを魔女ひとり膝に抑へてたのしむわれは

あぢさゐの濃きは淡きにたぐへつつ死へ一すぢの過密花あはれ

歌はただこの世の外の五位の声端的にいま結語を言へば

つきづきし家居(いへゐ)といへばひつそりと干すブリーフも神の仕事場

冷蔵庫にほのかに明かき鶏卵の、だまされて来し一生(ひとよ)のごとし

耐へがたいほどの快楽(けらく)が四肢に来て或る契約に署名せりけり

夕まぐれレーズンパンをむしり食む憎悪に酔ふがごとしひとりは

食道をくだるチーズを(ひと)(つき)の酒に追はせてゐたりけるかも

生きがたき此の世のはてに桃植ゑて死も明かうせむそのはなざかり

独楽は今軸かたむけてまはりをり逆らひてこそ父であること

しづかなる旋回ののち倒れたる大つごもりの独楽を見て立つ

蒼穹は蜜かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶

女とは淡き仮名書きの一行のながるるごとく男捉えつ

女らのさみどりの手に抑へうるか甘くさざなみのやうに軍備費

こころみにお前と呼ばばおどろくかおどろくか否おどろくか否

育てつつ子を捨て続けつつ棲むはやがてしづかに捨てられむため

捨てられし物象としも思はれぬ美しき缶雨うけ初めぬ

今ならばさうも言へるが日没が言葉をころすときの重たさ


2014年4月13日日曜日

早春から桜の頃


加藤治郎
荷車に春のたまねぎ弾みつつ アメリカをみたいって感じの目だね

米川千嘉子
春雪のなかの羽毛を拾ひくるこの子を生みしさびしさ無限
春の鶴の首打ちかはす鈍き音こころ死ねよとひたすらに聴く
〈女は大地〉かかる矜持のつまらなさ昼さくら湯はさやさやと澄み
やはらかく二十代批判されながら目には見ゆあやめをひたのぼる水

花山多佳子
葉桜に外灯の照るひとところかなたに見えて逢ひのごとしも

永田和宏
水底にさくら花咲くこの暗き地上に人を抱くということ

河野裕子(かわのゆうこ)
夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと
振りむけばなくなりさうな追憶の ゆふやみに咲くいちめんの菜の花
死の後にゆき逢ふごとき寂かさに水に映りて桜立ちゐき

沖ななも
父母は梅をみておりわれひとり梅のむこうの空を見ている
歩きつつふりかえりつつ見る桜こうしてみれば他人の桜

藤井常世
日はさせど飢ゑゐるごとき心にてすこしつめたく桜さくなり

小中英之
鶏ねむる村の東西南北にぼあーんぼあーんと桃の花見ゆ
死ぬる日をこばまずこはず桃の花咲く朝ひとりすすぐ口はも
花びらはくれなゐうすく咲き満ちてこずゑの重さはかりがたしも
今しばし死までの時間あるごとくこの世にあはれ花の咲く駅

石川不二子
葉ざくらとなりて久しとおもふ木のをりをりこぼす白きはなびら

稲葉京子
抱かれてこの世の初めに見たる白 花極まりし桜なりしか
細枝まで花の重さを怯へゐる春のあはれを桜と呼ばむ
わが青年よ若かりし日のわれもまた天道を焦げ落ちたる雲雀

雨宮雅子
さくらばな見てきたる眼をうすずみの死より甦りしごとくみひらく
春がすみ濃くなる方へ向はんと留守電をもて存在を消す
百済ぼとけの渡来は春の日なるべしほのあをむわが素足に思へば

馬場あき子
さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり

岡井隆
花から葉葉からふたたび花へゆく眼の遊びこそ寂しかりけれ

尾崎左永子
雨の日のさくらはうすき花びらを傘に置き地に置き記憶にも置く

富小路禎子
咲き満ちて空なくなりし桜並木暗し冥しと父母の墓訪ふ

山中千恵子
さくらばな陽に泡立つを目守りゐるこの冥き遊星に人と生れて

上田三四二
しづかなる狭間をとほりゆくときにわが踏むはみな桜の花ぞ
さびしさに耐へつつわれの来しゆゑに満山明るこの花ふぶき
ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも
人群にまぎれてゆけば夜桜の花のあかりは散る花あかり
夕かげのなかに桜はほの明る清らをつくし冴えまさるなり

河野愛子
湯のはやく沸くべくなりし三月の明るさに髪を洗ひてゐたる
しぐれてはさくらのはなの虚空ふかく紅さすものに蔽はれむわれ
八重のさくら咲きくづれゐるゆふやみの襞いろあふれ人ゆきはてし

中条ふみ子
葉ざくらの記憶かなしむうつ伏せのわれの背中はまだ無疵なり

窪田章一郎
よきものは一つにて足る高々と老木の桜咲き照れる庭




2014年4月6日日曜日

短歌観の拡張のために



正岡子規
潮早き淡路の瀬戸の海狭み重なりあひて白帆行くなり
たちならぶあまのいそ屋のたえ間より岩うつ波の音ぞ聞ゆる
家ごとにふすぶる蚊遣なびきあひ墨田の川に夕けぶりたつ
風吹けば蘆の花散る難波潟夕汐満ちて鶴低く飛ぶ
わが庭の垣根に生ふる薔薇の芽の莟ふくれて夏は来にけり

長塚節
暁のほのかに霧のうすれゆく落葉松山にかし鳥の鳴く
秋の田のゆたかにめぐる諏訪のうみ霧ほがらかに山に晴れゆく
相模(さがみ)()みえ安房の()鋸山(のこぎりやま)
落葉せるさくらがもとにい添ひたつ()槿(くげ)秋雨

若山牧水
うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山ざくら花
春白昼ここの港に寄りもせず岬を過ぎて行く船のあり
摘草のにほひ残れるゆびさきをあらひて居れば野に月の出づ
かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ
この手紙赤き切手をはるにさへこころときめく哀しきゆふべ
父の髪母の髪みな白み来ぬ子はまた遠く旅をおもへる
山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき春の国を旅ゆく
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
幾山河超えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく
われ歌をうたへりけふも故わかぬかなしみどもにうち追はれつつ

塚本邦雄
雪の夜の浴室で愛されてゐた黒いたまごがゆくへふめいに

葛原妙子
晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中にて
他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水

高野公彦
白き霧ながるる夜の草の園に自転車はほそきつばさ濡れたり

永井陽子
夜は夜のあかりにまわるティーカップティーカップまわれまわるさびしさ
少女たちはたちまちウサギになり金魚になる電話ボックスの陽だまり
十人殺せば深まるみどり百人殺せばしたたるみどり安土のみどり
べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊

与謝野晶子
春の夜に小雨そぼ降る大原や花に狐の出でてなく寺
清水へ祇園をよぎる花月夜こよひ逢ふ人みな美くしき
その子二十櫛に流るる黒髪のおごりの春の美くしきかな
物売にわれもならまし初夏のシヤンゼリゼエの青き()
ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)雛罌粟(コクリコ)
寺へ行く薔薇いろの()石坂

藤原良経
見ぬ世まで思ひ残さぬながめより昔にかすむ春の曙
冬の夢のおどろきはつる曙に春のうつつのまづ見ゆるかな

藤原定家
春の夜の夢の浮橋とだえして嶺にわかるる横雲の空
はかなしな夢に夢見しかげろふのそれも絶えぬるなかの契りは