よさの あきこ
1878-1942年(明治11年―昭和17年)
堺県堺区甲斐町西1丁(現在の大阪府堺市堺区甲斐町西1丁)生。東京都で死去。
その子二十櫛に流るる黒髪のおごりの春の美くしきかな
清水へ祇園をよぎる花月夜こよひ逢ふ人みな美くしき
経は苦し春のゆふべを奥の院の二十五菩薩歌受けたまへ
やは肌のあつき血潮に触れも見でさびしからずや道を説く君
何となく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな
ゆあみして泉を出でし我が肌に触れるるは苦し人の世の衣
四条橋おしろい厚き舞姫の額ささやかに打つあられかな
昨日をば千とせの前の世と思ひ御手なほ肩にありとも思ふ
春の夜に小雨そぼ降る大原や花に狐の出でてなく寺
をとめなれば姿は羞ぢて君に倚るこころ天行く日もありぬべし
海恋し潮の遠鳴りかぞへてはをとめとなりし父母の家
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな
頬よすれば香る息はく石の獅子ふたつ栖むなる夏木立かな
髪に挿せばかくやくと射る夏の日や王者の花のこがねひぐるま
里ずみの春さめふれば傘さして君とわが植う海棠の苗
蓮を斫り菱の実とりし盥舟その水いかに秋の長雨
誰が子かわれにをしへし橋納涼十九の夏の浪華風流
七たりの美なる人あり簾して船は御料の蓮きりに行く
水にさく花のやうなるうすものに白き帯する浪華の子かな
まる山のをとめも比叡の大徳も柳のいろにあさみどりする
金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり岡の夕日に
春雨やわがおち髪を巣に編みてそだちし雛の鶯の鳴く
軒ちかき御座よ灯の気と月光のなかにいざよふ夜の黒髪
きぬぎぬや雪の傘する舞ごろもうしろで見よと橋こえてきぬ
わが宿の春はあけぼの紫の糸のやうなるをちかたの川
ふるさとの潮の遠音のわが胸にひびくをおぼゆ初夏の雲
梅雨晴の日はわか枝こえきらきらとおん髪にこそ青う照りたれ
夏のかぜ山よりきたり三百の牧のわか馬耳吹かれけり
君まさぬ端居やあまり数おほき星に夜寒をおぼえけるかな
朝ぼらけ羽ごろも白の天の子が乱舞するなり八重桜ちる
夏まつりよき帯むすび舞姫に似しやを思ふ日のうれしさよ
うすいろを著よと申すや物焚きしかをるころものうれしき夕
ふと思ふ十とせの昔海見れば足のよろめく少女なりし日
思ふ人ある身はかなし雲わきて尽くる色なき大ぞらのもと
高き屋にのぼる月夜のはださむみ髪の上より羅をさらに著ぬ
仁和寺のついぢのもとの青よもぎ生ふやと君の問ひたまふかな
みづうみの底より生ふる杉むらにひぐらし鳴きぬ箱根路くれば
あざやかに漣うごくしののめの水のやうなるうすものを著ぬ
美しき大阪人とただ二人乗りたる汽車の二駅のほど
さきに恋ひさきにおとろへ先に死ぬ女の道にたがはじとする
月見草花のしをれし原行けば日のなきがらを踏むここちする
子らの衣皆あたらしく美しき皐月一日花あやめ咲く
雨がへる手まりの花のかたまりの下に啼くなるすずしき夕
男きて狎れがほに寄る日を思ひ恋することはものうくなりぬ
たをやめは面がはりせず死ぬ毒と云ふ薬見て心まよひぬ
一しづく髪に落つれば全身の濡れとほるらん水にたへたり
はかなごと七つばかりも重なればはなれがたかり朝の小床も
君きぬと五つの指にたくはへしとんぼはなちぬ秋の夕ぐれ
わが髪の裾にさやさや風かよふ八畳の間の秋の夕ぐれ
秋くれば腹立つことも苦しきも少ししづまるうつし世ながら
あかつきの竹の色こそめでたけれ水の中なる髪に似たれば
起き臥しに悩むはかなき心より萩などのいとつよげなるかな
はかなかるうつし世びとの一人をば何にも我れは換へじと思へる
残りなく皆ことごとく忘れんと苦しきことを思ひ立ちにき
わがよはひ盛りになれどいまだかの源氏の君の問ひまさぬかな
夏の夜は馬車して君に逢ひにきぬ無官の人のむすめなれども
むらさきと白と菖蒲は池に居ぬこころ解けたるまじらひもせで
なほ人に逢はんと待つやわが心夕となれば黄なる灯ともる
蜂蜜の青める玻璃のうつはより初秋きたりきりぎりす鳴く
相よりてものの哀れを語りつとほのかに覚ゆそのかみのこと
あらかじめ思はぬことに共に泣くかるはずみこそうれしかりけれ
わが頼む男の心うごくより寂しきはなし目には見えねど
夏の花みな水晶にならんとすかはたれ時の夕立のなか
水仙は白妙ごろもきよそへど恋人持たず香のみを焚く
春の日となりて暮れまし緑金の孔雀の羽となりて散らまし