2013年5月25日土曜日

高瀬一誌 (参考としての現代短歌)


たかせ かずし
1929-2001(昭和4年ー平成13年)
東京生まれ。東京で死去。






うどん屋の饂飩の文字が混沌の文字になるまでを酔う

よく手をつかう天気予報の男から雪が降りはじめたり

カメを買うカメを歩かすカメを殺す早くひとつのこと終らせよ

ワープロからアアアの文字つづけばふたりして森閑とせり

百ワットをこうこうとつけて眠れるわれは愉快犯に近づく

塩からき顔をしていん 相手の思う壺に入らんと思いつつ

眼鏡の男ばかりがあつまりてわれら何をなすべきか何をなしたる

どうもどうもしばらくしばらくとくり返すうち死んでしまいぬ

ぼうとしてくればさみしげにも見えるかな西郷隆盛まだ立ちている

ホトケの高瀬さんと言われしがよくみればざらざらでござる

テレビより大いなる手があばれ出したり顔はまだか

鐘をつく人がいるから鐘がきこえるこの単純も単純ならず

()の子()の子むきあうあそび何回もなすスミレ幼稚園

歯車でも螺子でもいいがオスメスのちがいはかんたんならず

十冊で百五十円也赤川次郎の本が雨につよいことがわかりぬ

ころがしておきし菊人形義仲の首は十日ののちもなくならぬ

頓死その字のごとし大馬鹿その字のごとし蟷螂その字のごとし

何かせねばおさまらぬ手がこうして石をにぎりしめたり

ガンと言えば人は黙りぬだまらせるために言いしにあらず

右手をあげて左手をあげて万歳のかたちになりぬ死んでしまいぬ

中将湯はのみしことなしバスクリンは少しなめしことあり あはは

全身をふるわせながら抗議するこのハエは死ぬ覚悟ではないか

はずかしきかたちに見えたりしかし発掘の骨はばらばらである

眠っているのか笑っているのか怒っているのか眼鏡をあらう

太陽のひかりあびてもわたくしは まだくらやみに立ちつくすなり





奥村晃作 (参考としての現代短歌)


おくむらこうさく 
1936年~(昭和11年~)
長野県生まれ。




ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く

もし豚をかくの如くに詰め込みて電車走らば非難起こるべし

これ以上平たくなれぬ吸殻が駅の階段になほ踏まれをり

わたくしはここにゐますと叫ばねばずるずるずるずるおち行くおもひ

一日中時間を持つになほ忙しわれはどこかがまちがつてゐる

然ういへば今年はぶだう食はなんだくだものを食ふひまはなかつた

次々に走り過ぎ行く自動車の運転をする人みな前を向く

ぐらぐらと揺れて頭蓋がはづれたりわれの内側ばかり見てゐて

洗濯もの幾さを干して掃除してごみ捨てて来て怒りたり妻が

歩かうとわが言ひ妻はバスと言ひ子が歩こうと言ひて歩き出す

ラーメンを食ひたい時に食ふ如くしたい時せよマスターベーション

巨きなる帚の先で自動車を掃き集め海に捨てて来しゆめ

あの鶏はなぜいつ来ても公園を庭の如くに歩いてゐるか

舟虫の無数の足が一斉にうごきて舟虫のからだを運ぶ

ラッシュアワー終りし駅のホームにて黄なる丸薬踏まれずにある

イヌネコと(なみ)して言ふがイヌネコは一切無所有の生を(まつた)うす

不思議なり千の音符のただ一つ弾きちがへてもへんな音がす

犬はいつもはつらつとしてよろこびにからだふるはす凄き生きもの

梅の木を梅と名付けし人ありて疑はず誰も梅の木と見る

絹薄き片を透かしてホトの毛の一つ一つがくつきりと見ゆ

海に来てわれは驚くなぜかくも大量の水ここにあるのかと

母は昔よい顔してたが現在はよい顔でないことの悲しさ

百人の九十九人が効かないと言ったって駄目 オレには効いた







寺山修司 (参考としての現代短歌)


てらやましゅうじ
1935-1983(昭和10年―昭和58年)
青森県弘前市生まれ。東京都杉並区で死去。




『空には本』(1958)より

とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を

わが通る果樹園の小屋いつも暗く父と呼びたき番人が棲む

海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり

そら豆の殻一せいに鳴る夕母につながるわれのソネット

夏川に木皿しずめて洗いいし少女はすでにわが内に棲む

吊るされて玉葱芽ぐむ納屋ふかくツルゲネエフをはじめて読みき

草の笛吹くを切なく聞きており告白以前の愛とは何ぞ

煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし

夏帽のへこみやすきを膝にのせてわが放浪はバスになじみき

蛮声をあげて九月の森に入れりハイネのために学をあざむき

ころがりしかんかん帽を追うごとくふるさとの道駈けて帰らむ

雲雀の血すこしにじみしわがシャツに時経てもなおさみしき凱歌

傷つきてわれらの夏も過ぎゆけり帆はかがやきていま樹間過ぐ

灯台に風吹き雲は時追えりあこがれきしはこの海ならず

日あたりて遠く蝉とる少年が駈けおりわれは何を忘れし

歳月がわれを呼ぶ声にふりむけば地を恋う雲雀はるかに高し

日あたりて雲雀の巣藁こぼれおり駈けぬけすぎしわが少年期

わが夏をあこがれのみが駈け去れり麦藁帽子被りて眠る

やがて海へ出る夏の川あかるくてわれは映されながら沿いゆく

失いし言葉がみんな生きるとき夕焼ており種子も破片も

遠い空に何かを忘れて来しわれが雲雀の卵地にみつめおり

わが胸を夏蝶ひとつ抜けゆくは言葉のごとし失いし日の

海よその青さのかぎりないなかになにか失くせしままわれ育つ

空のなかにたおれいるわれをめぐりつつ川のごとくにうたう日々たち

駈けてきてふいにとまればわれをこえてゆく風たちの時を呼ぶこえ

一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し

父の遺産のたった一つのランプにて冬蝿とまれりわが頬の上

父の遺産のなかに数えむ夕焼はさむざむとどの畦よりも見ゆ

ゆくかぎり枯野とくもる空ばかり一匹の蝿もし失わば

冬の斧たてかけてある壁にさし陽は強まれり家継ぐべしや

北へ走る鉄路に立てば胸いづるトロイカもすぐわれを捨てゆく

さむきわが射程のなかにさだまりし屋根の雀は母かもしれぬ

冬菜屑うかべし川にうつさるるわれに敗者の微笑はありや

われの神なるやも知れぬ冬の鳩を撃ちて硝煙あげつつ帰る

夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず

そそくさとユダ氏は去りき春の野に勝ちし者こそ寂しきものを

胸にひらく海の花火を見てかえりひとりの鍵を音たてて挿す

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや













2013年5月12日日曜日

与謝野晶子


よさの あきこ
1878-1942年(明治11年―昭和17年) 
堺県堺区甲斐町西1丁(現在の大阪府堺市堺区甲斐町西1丁)生。東京都で死去。





その子二十(はたち)櫛に流るる黒髪のおごりの春の美くしきかな       

清水(きよみづ)祇園(ぎをん)をよぎる花月夜こよひ逢ふ人みな美くしき

経は苦し春のゆふべを奥の院の二十五菩薩歌受けたまへ

やは肌のあつき血潮に触れも見でさびしからずや道を説く君

何となく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな

ゆあみして泉を出でし我が肌に触れるるは苦し人の世の(きぬ)

四条橋おしろい厚き舞姫の(ぬか)ささやかに打つあられかな

昨日(きのふ)をば千とせの前の世と思ひ御手なほ肩にありとも思ふ

春の夜に小雨そぼ降る大原や花に狐の出でてなく寺            

をとめなれば姿は()ぢて君に()るこころ(あめ)行く日もありぬべし

海恋し(しほ)の遠鳴りかぞへてはをとめとなりし父母(ちちはは)の家        

鎌倉や御仏(みほとけ)なれど釈迦牟(しやかむ)()美男(びなん)におはす夏木立かな

()よすれば香る(いき)はく石の獅子(しし)ふたつ()むなる夏木立かな

髪に()せばかくやくと射る夏の日や王者(わうしや)の花のこがねひぐるま

里ずみの春さめふれば傘さして君とわが植う海棠(かいだう)の苗

蓮を()り菱の実とりし(たらひ)(ふね)その水いかに秋の長雨

誰が子かわれにをしへし(はし)納涼(すずみ)十九の夏の浪華風流(なにはふうりう)

(なな)たりの美なる人あり(すだれ)して船は御料(ごれう)の蓮きりに行く

水にさく花のやうなるうすものに白き帯する浪華の子かな

まる山のをとめも比叡の大徳(だいとこ)も柳のいろにあさみどりする

金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして銀杏(いてふ)ちるなり岡の夕日に

春雨やわがおち髪を巣に編みてそだちし(ひな)(うぐひす)の鳴く      

軒ちかき御座(みざ)()()と月光のなかにいざよふ夜の黒髪

きぬぎぬや雪の傘する舞ごろもうしろで見よと橋こえてきぬ

わが宿の春はあけぼの紫の糸のやうなるをちかたの川

ふるさとの潮の遠音(とほね)のわが胸にひびくをおぼゆ初夏の雲

梅雨晴(つゆばれ)の日はわか()こえきらきらとおん髪にこそ青う照りたれ

夏のかぜ山よりきたり三百の(まき)のわか馬耳吹かれけり

君まさぬ端居(はしゐ)やあまり数おほき星に夜寒(よさむ)をおぼえけるかな

朝ぼらけ羽ごろも(じろ)(あめ)の子が乱舞するなり八重桜ちる

夏まつりよき帯むすび舞姫に似しやを思ふ日のうれしさよ

うすいろを著よと申すや物焚(ものた)きしかをるころものうれしき(ゆうべ)

ふと思ふ()とせの昔海見れば足のよろめく少女(をとめ)なりし日

思ふ人ある身はかなし雲わきて尽くる色なき大ぞらのもと      

高き屋にのぼる月夜のはださむみ髪の上より()をさらに著ぬ

仁和寺(にんなじ)のついぢのもとの青よもぎ()ふやと君の問ひたまふかな

みづうみの底より()ふる杉むらにひぐらし鳴きぬ箱根路くれば

あざやかに(さざなみ)うごくしののめの水のやうなるうすものを著ぬ     

美しき大阪人とただ二人乗りたる汽車の二駅のほど

さきに恋ひさきにおとろへ先に死ぬ(おみな)の道にたがはじとする

月見(つきみ)(ぐさ)花のしをれし原行けば日のなきがらを踏むここちする

子らの(きぬ)皆あたらしく美しき皐月(さつき)一日(ついたち)花あやめ咲く

雨がへる手まりの花のかたまりの下に()くなるすずしき夕

男きて()れがほに寄る日を思ひ恋することはものうくなりぬ

たをやめは(おも)がはりせず死ぬ毒と云ふ薬見て心まよひぬ

一しづく髪に落つれば全身の濡れとほるらん水にたへたり

はかなごと七つばかりも重なればはなれがたかり朝の小床(をどこ)

君きぬと五つの指にたくはへしとんぼはなちぬ秋の夕ぐれ

わが髪の(すそ)にさやさや風かよふ八畳の間の秋の夕ぐれ

秋くれば腹立つことも苦しきも少ししづまるうつし世ながら     

あかつきの竹の色こそめでたけれ水の中なる髪に似たれば

起き臥しに悩むはかなき心より萩などのいとつよげなるかな

はかなかるうつし世びとの一人をば何にも我れは換へじと思へる

残りなく皆ことごとく忘れんと苦しきことを思ひ立ちにき

わがよはひ盛りになれどいまだかの源氏の君の問ひまさぬかな

夏の夜は馬車して君に逢ひにきぬ無官の人のむすめなれども

むらさきと白と菖蒲(あやめ)は池に居ぬこころ解けたるまじらひもせで

なほ人に逢はんと待つやわが心(ゆふべ)となれば黄なる()ともる

蜂蜜の青める玻璃(はり)のうつはより初秋きたりきりぎりす鳴く

相よりてものの哀れを語りつとほのかに覚ゆそのかみのこと

あらかじめ思はぬことに共に泣くかるはずみこそうれしかりけれ

わが頼む男の心うごくより寂しきはなし目には見えねど

夏の花みな水晶にならんとすかはたれ時の夕立のなか

水仙は白妙ごろもきよそへど恋人持たず香のみを焚く

春の日となりて暮れまし(こん)孔雀(くじやく)の羽となりて散らまし