2013年5月25日土曜日

寺山修司 (参考としての現代短歌)


てらやましゅうじ
1935-1983(昭和10年―昭和58年)
青森県弘前市生まれ。東京都杉並区で死去。




『空には本』(1958)より

とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を

わが通る果樹園の小屋いつも暗く父と呼びたき番人が棲む

海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり

そら豆の殻一せいに鳴る夕母につながるわれのソネット

夏川に木皿しずめて洗いいし少女はすでにわが内に棲む

吊るされて玉葱芽ぐむ納屋ふかくツルゲネエフをはじめて読みき

草の笛吹くを切なく聞きており告白以前の愛とは何ぞ

煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし

夏帽のへこみやすきを膝にのせてわが放浪はバスになじみき

蛮声をあげて九月の森に入れりハイネのために学をあざむき

ころがりしかんかん帽を追うごとくふるさとの道駈けて帰らむ

雲雀の血すこしにじみしわがシャツに時経てもなおさみしき凱歌

傷つきてわれらの夏も過ぎゆけり帆はかがやきていま樹間過ぐ

灯台に風吹き雲は時追えりあこがれきしはこの海ならず

日あたりて遠く蝉とる少年が駈けおりわれは何を忘れし

歳月がわれを呼ぶ声にふりむけば地を恋う雲雀はるかに高し

日あたりて雲雀の巣藁こぼれおり駈けぬけすぎしわが少年期

わが夏をあこがれのみが駈け去れり麦藁帽子被りて眠る

やがて海へ出る夏の川あかるくてわれは映されながら沿いゆく

失いし言葉がみんな生きるとき夕焼ており種子も破片も

遠い空に何かを忘れて来しわれが雲雀の卵地にみつめおり

わが胸を夏蝶ひとつ抜けゆくは言葉のごとし失いし日の

海よその青さのかぎりないなかになにか失くせしままわれ育つ

空のなかにたおれいるわれをめぐりつつ川のごとくにうたう日々たち

駈けてきてふいにとまればわれをこえてゆく風たちの時を呼ぶこえ

一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し

父の遺産のたった一つのランプにて冬蝿とまれりわが頬の上

父の遺産のなかに数えむ夕焼はさむざむとどの畦よりも見ゆ

ゆくかぎり枯野とくもる空ばかり一匹の蝿もし失わば

冬の斧たてかけてある壁にさし陽は強まれり家継ぐべしや

北へ走る鉄路に立てば胸いづるトロイカもすぐわれを捨てゆく

さむきわが射程のなかにさだまりし屋根の雀は母かもしれぬ

冬菜屑うかべし川にうつさるるわれに敗者の微笑はありや

われの神なるやも知れぬ冬の鳩を撃ちて硝煙あげつつ帰る

夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず

そそくさとユダ氏は去りき春の野に勝ちし者こそ寂しきものを

胸にひらく海の花火を見てかえりひとりの鍵を音たてて挿す

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや













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