さいとうもきち 1882-1953
「白き山」(昭和二十四年)より
蔵王より離りてくれば平らけき国の真中に雪の降る見ゆ
ふかぶかと降りつもりたる雪原に杉木立あるは寂しきものぞ
杉の木に杉風おこり松の木に松風が吹くこの庭あはれ
かすかなる出で入る息をたのしみて臥処にけふも暮れむとぞする
雪ふぶく頃より臥してゐたりけり気にかかる事も皆あきらめて
うぐひすはかなしき鳥か梅の樹に来啼ける声を聞けど飽かなく
幻のごとくに病みてありふればここの夜空を雁がかへりゆく
もろごゑに鳴ける蛙を夜もすがら聞きつつ病の癒えむ日近し
鉛いろになりしゆふべの最上川こころ静かに見ゆるものかも
夕映のくれなゐの雲とほ長く鳥海山の奥にきはまれり
彼岸に何をもとむるよひ闇の最上川のうへのひとつ蛍は
かの空にたたまれる夜の雲ありて遠いなづまに紅くかがやく
蛍火をひとつ見いでて目守りしがいざ帰りなむ老の臥処に
しづかなる曇りのおくに雪のこる鳥海山の全けきが見ゆ
近よりてわれは目守らむ白玉の牡丹の花のその自在心
ながらへてあれば涙のいづるまで最上の川の春ををしまむ
逝く春の朝靄こむる最上川岸べの道を少し歩めり
いきどほる心われより無くなりて呆けむとぞする病の牀に
ほがらかに聞こゆるものか夜をこめて二つあひ呼ばふ梟のこゑ
白牡丹つぎつぎひらきにほひしが最後の花がけふ過ぎむとす
ひむがしゆうねりてぞ来る最上川見おろす山に眠りもよほす
庭の上に柏の太樹かたむきて立てるを見れば過ぎし代おもほゆ
山鳩がわがまぢかくに啼くときに午餉を食はむ湯を乞ひにけり
ひとり居る和尚不在の寺に入り「寿山聳」の匾を見にけり
黒滝の山にのぼりて見はるかす最上川の行方こほしくもあるか
くろぐろとしたる木立にかこまるる小峡の空は清にこそ澄め
かぎりなく稔らむとする田のあひの秋の光にわれは歩める
われひとり憩ひてゐたる松山に松蝉鳴きていまだ暑しも
つくづくと病に臥せば山のべの躑躅の花も見ずて過ぎにき
秋の日は対岸の山に落ちゆきて一日ははやし日月ははやし
蕎麦の花咲きそろひたる畑あれば蕎麦を食はむと思ふさびしさ
最上川に手を浸せれば魚の子が寄りくるかなや手に触るるまで
あまつ日のかたむく頃の最上川わたつみの色になりてながるる
この原にわれの居りたるゆふまぐれ鳥海山は晴れて全けし
最上川のなぎさに居れば対岸の虫の声きこゆかなしきまでに
病より癒えて来れば最上川狭霧のふかきころとなりつも
岩の間にかぐろき海が見えをれば岩をこえたる浪しぶき散る
わたつみは凪ぎたるらむか夜をこめていでゆく船のその音きこゆ
旅人もここに飲むべくさやけくも磯山かげにいづる水あり
外光にいでてし来れば一山を吹き過ぎし風もわれに寂しゑ
やうやくに色づかむとする秋山の谷あひ占めて白き茅原
われひとりきのふのごとく今日もゐてつひに寂しきくれぐれの山
ここに立ち夕ぐるるまでながめたる最上川のみづ平明にして
たひらなる命生きむとこひねがひ朝まだきより山こゆるなり
山の木々さわだつとおもひしばかりにしぐれの雨は峡こえて来つ
峡の空片よりに蒼く晴れをりて吹きしまく時雨の音ぞ聞こゆる
この鮎はわれに食はれぬ小国川の蒼ぎる水に大きくなりて
最上川の支流は山にうちひびきゆふぐれむとする時にわが居つ
浅山に入りつつ心しづまりぬ楢のもみぢもくれなゐにして
こもごもに心のみだれやまなくに葉広がしはのもみぢするころ
しぐれの雨うつろふなべに吾をめぐる山うつくしくなりて来にけり
しづかなる亡ぶるものの心にてひぐらし一つみじかく鳴けり
おほどかに流れの見ゆるのみにして月の照りたる冬最上川
ひむがしに霧はうごくと見しばかりに最上川に降る朝しぐれの雨
いただきに黄金のごとき光もちて鳥海の山ゆふぐれむとす
たけ高き紫苑の花の一むらに時雨の雨は降りそそぎけり
かりがねも既にわたらずあまの原かぎりも知らに雪ふりみだる
最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも