2013年4月27日土曜日

正岡子規


まさおか しき
1867年-1902年(慶応3年-明治35年)
伊予国温泉郡藤原新町(現愛媛県松山市花園町)生。東京都台東区根岸子規庵で死去。






隅田川堤の桜さくころよ花のにしきをきて帰るらん

むら鳥の大海原にさわぐなり伊豆の岬や近くなるらん

たちならぶあまのいそ屋のたえ間より岩うつ波の音ぞ聞ゆる

いく坂をのぼりのぼりて尋ねきし山の上にもうみを見るかな

見渡せばはるかの沖のもろ舟の帆にふく風ぞ涼しかりける

家ごとにふすぶる蚊遣なびきあひ墨田の川に夕けぶりたつ
    
歌ふ声は遠く聞えて柴舟の霧の中よりあらはれにけり

隣にも豆腐の煮ゆる音すなり根岸の里の五月雨の頃

夕されば吹浦の沖のはてもなく入日をうけて白帆行くなり

柿の実のあまきもありぬ柿の実のしぶきもありぬしぶきぞうまき

梅咲きぬ鮎も上りぬ早く()と文書きておこす多摩の里人

人も来ず春行く庭の水の上にこぼれてたまる山吹の花

わが船は大海原に入りにけり舳に近くいるか群れて飛ぶ

野分して塀倒れたる裏の家に若き女の朝餉する見ゆ

垣の外に猫の()を呼ぶ夜は更けて上野の森に月朧なり

菅の根の長き春日を端居(はしゐ)して花無き庭をながめくらしつ

我が庭の小草(おぐさ)萌えいでぬ限りなき天地(あめつち)今やよみがへるらし

時鳥(ほととぎす)鳴きて谷中や過ぎぬらし根岸の里にむら(さめ)ぞふる

(きぬ)を干す庭にぞ来つる鶯の紅梅に鳴かず竹竿に鳴く

小鮒取る童べ去りて門川の河骨の花に目高群れつつ

宮嶋にともす燈籠の影落ちて夕汐みちぬ舟出さんとす       

病みて臥す窓の橘花咲きて散りて実になりて猶病みて臥す

潮早き淡路の瀬戸の海狭み重なりあひて白帆行くなり

寝静まる里のともし火皆消えて天の川白し竹薮の上に

定めなき世は塞翁が馬なれや我病ひありて歌学び得つ

風吹けば蘆の花散る難波潟(ゆふ)(しほ)満ちて鶴低く飛ぶ

わが庭の垣根に生ふる薔薇の芽の莟ふくれて夏は来にけり

日をうけて覆盆子花咲く杉垣根そのかたはらよ物ほしどころ

鉢二つ紫こきはおだまきか赤きは花の名を忘れけり

撫子は茂り桔梗はやや伸びぬ猶二葉なる朝顔の苗

夕顔の苗売りに来し雨上り植ゑんとぞ思ふ夕顔の苗

きのふ見し花の上野の若葉陰小旗なびきて氷売るなり

若葉さす市の植木の下陰に金魚あきなふ夏は来にけり

久方のアメリカ(びと)のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも

今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸のうちさわぐかな

われ昔学びのわざのにぶくして叱られしことぞ夢に見えつる

夏菊の枯るる側より葉鶏頭の紅深く伸び立ちにけり

椎の樹に蜩鳴きて夕日影ななめに照すきちかうの花

村つづき青田を走る汽車見えて諏訪の茶店はすずしかりけり

十四日お昼すぎより歌をよみにわたくし内へおいでくだされ

花散りて葉いまだ萌えぬ小桜の赤きうてなにふる雨やまず

かな網の鳥籠広みうれしげに飛ぶ鳥見ればわれもたぬしむ

病みふせるわが枕辺に運びくる鉢の牡丹の花ゆれやまず

くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる


鉢植に二つ咲きたる牡丹の花くれなゐ深く夏立ちにけり

はしきやし少女(をとめ)に似たるくれなゐの牡丹の陰にうつうつ眠る

松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く

ガラス戸の外に据ゑたる鳥籠のブリキの屋根に月映る見ゆ

小庇にかくれて月の見えざるを一目を見んとゐざれど見えず

瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり

八入(やしほ)()の酒にひたせばしをれたる藤なみの花よみがへり咲く

佐保神の別れかなしも来ん春にふたたび逢はんわれならなくに

いちはつの花咲きいでて我が目には今年ばかりの春行かんとす

世の中は常なきものと我が愛づる山吹の花散りにけるかも

夕顔の棚つくらんと思へども秋待ちがてぬ我がいのちかも

くれなゐの薔薇(うばら)ふふみぬ我が病いやまさるべき時のしるしに

若松の芽だちの緑長き日を夕かたまけて熱いでにけり

いたつきの癒ゆる日知らにさ庭べに秋草花の種を蒔かしむ

白妙のもちひを包むかしは葉の香をなつかしみくへど飽かぬかも

色深き葉広がしはの葉を広みもちひぞつつむいにしへゆ今に

菅の根の永き一日を飯も食はず知る人も来ずくらしかねつも

あら玉の年をことほぎうめの花一枝買ひていけにけるかも

やみてあれば庭さへ見ぬを花菫我が手にとりて見らくうれしも

赤羽根のつつみに()ふるつくづくしのびにけらしも摘む人なしに

つくづくし摘みて帰りぬ煮てや食はんひしほと酢とにひでてや食はん

つくづくし長き短きそれもかも老いし老いざる何もかもうまき





2013年4月15日月曜日

若山牧水


わかやまぼくすい
1885年ー1928年(明治18年ー昭和3年)
宮崎東臼杵群東郷村(現・日向市)生。静岡県沼津市で死去。




幾山河越えさり行かば寂しさの()てなむ国ぞ今日(けふ)も旅ゆく     

白鳥(しらとり)(かな)しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき春の国を旅ゆく

われ歌をうたへりけふも故わかぬかなしみどもにうち追はれつつ

とこしへに解けぬひとつの不可思議の生きてうごくと自らをおもふ

父の髪母の髪みな白み来ぬ子はまた遠く旅をおもへる

地震(なゐ)す空はかすかに嵐して一山(いちざん)白きやまざくらばな

この手紙赤き切手をはるにさへこころときめく(かな)しきゆふべ

しづやかに大天地(おほあめつち)に傾きて命かなしき秋は来にけり

白昼(まひる)ここの港に寄りもせず岬を過ぎて行く船のあり

おもひやるかのうす青き峡のおくにわれのうまれし朝のさびしさ

摘草のにほひ残れるゆびさきをあらひて居れば野に月の出づ

白玉(しらたま)の歯に染みとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ

秋かぜや日本(やまと)の国の稲の酒のあぢはひ日にまさり来れ

かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ

さうだ、あんまり自分のことばかり考へてゐた、四辺(あたり)(ほらあな)のやうに暗い

朝酒はやめむ昼ざけせんもなしゆふがたばかり少し飲ましめ

うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山ざくら花

足音を忍ばせて行けば台所にわが酒の壜は立ちて待ちをる

酒ほしさまぎらはすとて庭に出でつ庭草をぬくこの庭草を



2013年4月7日日曜日

斎藤茂吉 1


さいとうもきち
1882年ー1953年(明治15年ー昭和28年)
山形県南村山郡金瓶(かなかめ)村(現在の上山市金瓶)生。東京で死去。




をさな妻こころに持ちてあり()れば(あか)小蜻蛉(こあきつ)の飛ぶもかなしき 

赤光のなかの歩みはひそか夜の細きかほそきこころにか似む

しろがねの雪ふる山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな

赤光のなかに浮びて棺ひとつ行き遥かけり野は涯ならん       

死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天に(きこ)ゆる

桑の香の青くただよふ朝朝に堪へがたければ母呼びにけり

のど赤き(つばく)(らめ)ふたつ()()にゐて足乳(たらち)()の母は死にたまふなり

めん(どり)ら砂あび居たれひつそりと剃刀(かみそり)研人(とぎ)は過ぎ行きにけり

ふり(そそ)ぐあまつひかりに目の見えぬ黒き(いとど)を追ひつめにけり  

あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

ともしびの心をほそめて松はらのしづかなる家にまなこつむりぬ

しんしんと雪ふるなかにたたずめる馬の眼はまたたきにけり

草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ

ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも

こらへゐし我のまなこに涙たまる一つの息の朝雉のこゑ

かへりこし家にあかつきのちやぶ台に火燄の香する沢庵を食む 
  
壁に来て草かげろふはすがり居り()きとほりたる羽のかなしさ

ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり

二時間あまり机のまへにすわりしが渾沌として(かい)をくだりぬ

わが体机に押しつくるごとくにしてみだれ心をしづめつつ居り 

バケツより雑巾しぼる音ききてそれより後の五分あまりの夢 

おのづから六十三になりたるは蕨うらがれむとするさまに似む 

ものなべてしづかならむと山かひの川原の砂に秋の陽のさす

このくにの空を飛ぶとき悲しめよ南へむかふ雨夜かりがね

石の上に羽を(ひら)めてとまりたる(あかね)蜻蛉(あきつ)も物もふらむか

くやしまむ(こと)も絶えたり()のなかに炎のあそぶ冬のゆふぐれ

くさぐさの実こそこぼるれ岡のへの秋の日ざしはしづかになりて

あららぎのくれなゐの実の結ぶとき(さや)けき秋のこころにぞ入る

沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ

こゑひくき帰還兵士のものがたり焚火を継がむまへにをはりぬ

松かぜのつたふる音を聞きしかどその源はいづこなるべき

秋晴れのひかりとなりて楽しくも実りに入らむ栗も胡桃も

秋風の遠のひびきの聞こゆべき夜ごろとなれど早く(いね)にき

わが心しづかになれど(いへ)(くま)の茗荷黄いろにうらがれわたる

うつせみのわが(そく)(そく)を見むものは(まど)にのぼれる蟷螂(かまきり)ひとつ

あかがねの色になりたるはげあたまかくの如くに生きのこりけり

かくのごと雪は流らふものなべて真白きがうへになほし流らふ

をやみなく雪降りつもる道の上にひとりごつこゑ寂しかるべし

ほそほそとなれる(いのち)よ雪ふかき河のほとりにおのれ息はく

雪はれし丘にのぼりてふりさくる空の()(すみ)はいまだくもれり

雪ふぶく丘のたかむらするどくも片靡(かたなび)きつつゆふぐれむとす




松倉米吉

まつくらよねきち
1895年ー1919年(明治28年ー大正8年)
新潟県糸魚川生。東京築地で死去。



吾の身の吾がものならぬはかな日の一年とはなりぬ日暮れ待ちし日の

日もすがら金槌をうつそこ痛む頭を巻きて金槌を打つ

去年までこの工場に居し男日くるる窓外を笑ひて通れり

指落としし男またあり吾一人煙草休みに日を浴びて居り

泥道を囚人三人過ぎければ足跡踏みて子等ののしれり

工場に仕事とぼしも吾が打つ小槌の音は響きわたりぬ

隔月に槌うちに来つつ工場の真中に坐して仕事はとぼし

しんかんととぼしき仕事抱えつつ窓に飛びかふ淡雪を見る

指落して泣いて行きし友のうしろかげ機械の音もただならぬかな

悄然と繃帯の手を胸におき友は病院より帰り来にけり

わが握る槌の柄減りて光りけり職工をやめんといくたび思ひし

ニツケルのにぶき光に長き夜を瞼おもりて手骨いたみきぬ

半月に得たる金のこのとぼしさや語るすべなき母と吾かな

投げ出しし金をつくづくと母見居り一間なる家に夕日は赤く

極まりて借りたれば金のたふとけれあまりに寂しき涙なるかも

工場の夕食ののちのさびしさに弁当箱の錆おとしつつ

傾きてなほ照る日あし空しさに街をさまよふ身につらきかも

築山のしげみの裏に身をひそめぼろぼろのパン食べにけるかも

この職にたけて帰る日いつならむ夕べさびしく汗の冷えつる

夜仕事のしまひ早めて銭湯に行く道すずし夏の夜の月

夜仕事を終へて出で来し新開の月夜の街に鳴く蛙かも

親方のまはすろくろの錐の音雨空近き露地に鳴れるかも

親方の仕事のはたにうづくまり蚊遣いぶして吾が居りにける

又しても道具をいためこの度はひとりもだして見て居れるなり

今は言かよはぬか母よこの月の給料は得て来て吾は持てるを

独子のひとりの母よ菰に寝て今はかそかなる息もあらぬか

痛しとも言はぬ母故今はさびし骨あらはなるむくろ拭ひつつ

独子の吾はさびしも身を近く柩にそひて歩きて行かむ

宿の主人に訳をあかしてうつり着の質の入替たのむなりけり

しげしげと医師にこの顔見すゑられつつわが貧しさを明かしけるかも

価安く薬もらひて外に出たり裸にならぶ街の木立は

薬さげて冬さり街をまだ馴れぬ親方先にまたもどりゆく

施療院に行く心とはなりし親方の下駄の埃を吾はうちはらふ

ひし抱きいねむとおもひまちまけしその夜もむなしいまにさびしき

久々を宿にもどれば落かべや埃にあれて足ふみかぬる

久々に吾の寝床をのべにけりところどころにかびの生えたる

灯をともすマツチたづねていやせかる口に血しほは満ちてせかるる

血を喀きてのちのさびしさ外の面(とのも)にはしとしととして雨の音すも

宿の者は醒めはせずかと秘むれども喉にせき来る血しほのつらなり

菓子入にと求めて置きし瀬戸の壺になかばばかりまで吾が血たまれる

かなしもよともに死なめと言ひてよる妹にかそかに白粉にほふ

命かぎるやまひをもちてさびしもよ妹にかそかに添寝をしつつ

帰しなば又遭ふことのやすくあらじ紅き夜空を見つつ時ふる

かうかうと真夜を吹きぬく嵐の中血を喀くきざしに心は苦しむ

じつとりと盗汗(ねあせ)にぬれてさめにけり曇ひと日ははや暮れかかる

待ちつかれ眠りたりしがうらさびし今まで来ねばなどか今日来む

この日ごろ窓ひらかねば光欲しほそくながるる夕日のよわさ

救世軍の集りの唱歌も今宵寂しひそひそと振る秋雨の音

一つ打ちては休みゐつつかれがれの唾(つばき)手にひり槌打つ父はも

浪吉は吾の体を警察にすがらむと行きぬなぜに自ら命を断ちえぬ

膝も腹もひつしとかため寝間着の裾にまくるまりつつ悪寒を忍ぶ