2013年4月7日日曜日

斎藤茂吉 1


さいとうもきち
1882年ー1953年(明治15年ー昭和28年)
山形県南村山郡金瓶(かなかめ)村(現在の上山市金瓶)生。東京で死去。




をさな妻こころに持ちてあり()れば(あか)小蜻蛉(こあきつ)の飛ぶもかなしき 

赤光のなかの歩みはひそか夜の細きかほそきこころにか似む

しろがねの雪ふる山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな

赤光のなかに浮びて棺ひとつ行き遥かけり野は涯ならん       

死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天に(きこ)ゆる

桑の香の青くただよふ朝朝に堪へがたければ母呼びにけり

のど赤き(つばく)(らめ)ふたつ()()にゐて足乳(たらち)()の母は死にたまふなり

めん(どり)ら砂あび居たれひつそりと剃刀(かみそり)研人(とぎ)は過ぎ行きにけり

ふり(そそ)ぐあまつひかりに目の見えぬ黒き(いとど)を追ひつめにけり  

あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

ともしびの心をほそめて松はらのしづかなる家にまなこつむりぬ

しんしんと雪ふるなかにたたずめる馬の眼はまたたきにけり

草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ

ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも

こらへゐし我のまなこに涙たまる一つの息の朝雉のこゑ

かへりこし家にあかつきのちやぶ台に火燄の香する沢庵を食む 
  
壁に来て草かげろふはすがり居り()きとほりたる羽のかなしさ

ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり

二時間あまり机のまへにすわりしが渾沌として(かい)をくだりぬ

わが体机に押しつくるごとくにしてみだれ心をしづめつつ居り 

バケツより雑巾しぼる音ききてそれより後の五分あまりの夢 

おのづから六十三になりたるは蕨うらがれむとするさまに似む 

ものなべてしづかならむと山かひの川原の砂に秋の陽のさす

このくにの空を飛ぶとき悲しめよ南へむかふ雨夜かりがね

石の上に羽を(ひら)めてとまりたる(あかね)蜻蛉(あきつ)も物もふらむか

くやしまむ(こと)も絶えたり()のなかに炎のあそぶ冬のゆふぐれ

くさぐさの実こそこぼるれ岡のへの秋の日ざしはしづかになりて

あららぎのくれなゐの実の結ぶとき(さや)けき秋のこころにぞ入る

沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ

こゑひくき帰還兵士のものがたり焚火を継がむまへにをはりぬ

松かぜのつたふる音を聞きしかどその源はいづこなるべき

秋晴れのひかりとなりて楽しくも実りに入らむ栗も胡桃も

秋風の遠のひびきの聞こゆべき夜ごろとなれど早く(いね)にき

わが心しづかになれど(いへ)(くま)の茗荷黄いろにうらがれわたる

うつせみのわが(そく)(そく)を見むものは(まど)にのぼれる蟷螂(かまきり)ひとつ

あかがねの色になりたるはげあたまかくの如くに生きのこりけり

かくのごと雪は流らふものなべて真白きがうへになほし流らふ

をやみなく雪降りつもる道の上にひとりごつこゑ寂しかるべし

ほそほそとなれる(いのち)よ雪ふかき河のほとりにおのれ息はく

雪はれし丘にのぼりてふりさくる空の()(すみ)はいまだくもれり

雪ふぶく丘のたかむらするどくも片靡(かたなび)きつつゆふぐれむとす




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