2013年4月7日日曜日

松倉米吉

まつくらよねきち
1895年ー1919年(明治28年ー大正8年)
新潟県糸魚川生。東京築地で死去。



吾の身の吾がものならぬはかな日の一年とはなりぬ日暮れ待ちし日の

日もすがら金槌をうつそこ痛む頭を巻きて金槌を打つ

去年までこの工場に居し男日くるる窓外を笑ひて通れり

指落としし男またあり吾一人煙草休みに日を浴びて居り

泥道を囚人三人過ぎければ足跡踏みて子等ののしれり

工場に仕事とぼしも吾が打つ小槌の音は響きわたりぬ

隔月に槌うちに来つつ工場の真中に坐して仕事はとぼし

しんかんととぼしき仕事抱えつつ窓に飛びかふ淡雪を見る

指落して泣いて行きし友のうしろかげ機械の音もただならぬかな

悄然と繃帯の手を胸におき友は病院より帰り来にけり

わが握る槌の柄減りて光りけり職工をやめんといくたび思ひし

ニツケルのにぶき光に長き夜を瞼おもりて手骨いたみきぬ

半月に得たる金のこのとぼしさや語るすべなき母と吾かな

投げ出しし金をつくづくと母見居り一間なる家に夕日は赤く

極まりて借りたれば金のたふとけれあまりに寂しき涙なるかも

工場の夕食ののちのさびしさに弁当箱の錆おとしつつ

傾きてなほ照る日あし空しさに街をさまよふ身につらきかも

築山のしげみの裏に身をひそめぼろぼろのパン食べにけるかも

この職にたけて帰る日いつならむ夕べさびしく汗の冷えつる

夜仕事のしまひ早めて銭湯に行く道すずし夏の夜の月

夜仕事を終へて出で来し新開の月夜の街に鳴く蛙かも

親方のまはすろくろの錐の音雨空近き露地に鳴れるかも

親方の仕事のはたにうづくまり蚊遣いぶして吾が居りにける

又しても道具をいためこの度はひとりもだして見て居れるなり

今は言かよはぬか母よこの月の給料は得て来て吾は持てるを

独子のひとりの母よ菰に寝て今はかそかなる息もあらぬか

痛しとも言はぬ母故今はさびし骨あらはなるむくろ拭ひつつ

独子の吾はさびしも身を近く柩にそひて歩きて行かむ

宿の主人に訳をあかしてうつり着の質の入替たのむなりけり

しげしげと医師にこの顔見すゑられつつわが貧しさを明かしけるかも

価安く薬もらひて外に出たり裸にならぶ街の木立は

薬さげて冬さり街をまだ馴れぬ親方先にまたもどりゆく

施療院に行く心とはなりし親方の下駄の埃を吾はうちはらふ

ひし抱きいねむとおもひまちまけしその夜もむなしいまにさびしき

久々を宿にもどれば落かべや埃にあれて足ふみかぬる

久々に吾の寝床をのべにけりところどころにかびの生えたる

灯をともすマツチたづねていやせかる口に血しほは満ちてせかるる

血を喀きてのちのさびしさ外の面(とのも)にはしとしととして雨の音すも

宿の者は醒めはせずかと秘むれども喉にせき来る血しほのつらなり

菓子入にと求めて置きし瀬戸の壺になかばばかりまで吾が血たまれる

かなしもよともに死なめと言ひてよる妹にかそかに白粉にほふ

命かぎるやまひをもちてさびしもよ妹にかそかに添寝をしつつ

帰しなば又遭ふことのやすくあらじ紅き夜空を見つつ時ふる

かうかうと真夜を吹きぬく嵐の中血を喀くきざしに心は苦しむ

じつとりと盗汗(ねあせ)にぬれてさめにけり曇ひと日ははや暮れかかる

待ちつかれ眠りたりしがうらさびし今まで来ねばなどか今日来む

この日ごろ窓ひらかねば光欲しほそくながるる夕日のよわさ

救世軍の集りの唱歌も今宵寂しひそひそと振る秋雨の音

一つ打ちては休みゐつつかれがれの唾(つばき)手にひり槌打つ父はも

浪吉は吾の体を警察にすがらむと行きぬなぜに自ら命を断ちえぬ

膝も腹もひつしとかため寝間着の裾にまくるまりつつ悪寒を忍ぶ






























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