ごとうみよこ 1898年-1978年
夕潮のみちくるなべにわがこころほとほとたへず君を欲りする
我ならぬ生命の音をわが体内にききつつこころさびしむものを
子を持てばこころ貪欲にあり経つつ終に澄むなき己が一生か
胎動のおほにしづけきあしたかな吾子の思ひもやすけかるらし
あぶないものばかり持ちたがる子の手から次次にものをとり上げてふつと寂し
いひたいことにつき当つて未だ知らない言葉吾子はせつなく母の目を見る
重態を悟らせじと作りしゑがほがそのまま脱げぬ面となりしか
自が子らを養ふと人の子を屠りし鬼子母神のこころ時にわが持つ
あけて待つ子の口のなかやはらかし粥運ぶわが匙に触れつつ
あらはなるわが民族の田植のさま手にとる如く空より見られつ
力いつぱい生ききりて吾の枯るるときおのづから子に移るものあらむ
われ一人やしなひましし母の乳焼かるる日まで仄に赤かりき
昨日ありえしこと今日もありと疑はず誇りかにゐるを老醜といふ
戦争中より明らかに眼ひらきゐしといふ人らと異なり凡愚のわれは
けものめく匂ひをたつる時ありて娘が長き髪梳くはなやまし
ある日より魂わかれなむと母と娘の道ひそひそと見えくる如し
この向きにて初におかれしみどり児の日もかくのごと子は物言はざりし
花に埋もるる子が死顔の冷めたさを一生たもちて生きなむ吾か
棺の釘打つ音いたきを人はいふ泣きまどゐて吾はきこえざりき
吾に来し一つの生命まもりあへず空にかへしぬ許さるべしや
うつそ身は母たるべくも生れ来しををとめながらに逝かしめにけり
あやまちて光りこぼしし水かとも子をおもふとき更にあわてぬ
いたましき顔しませりと見てあれば夫も同じことをわがかほにいふ
わが胎にはぐくみし日の組織などこの骨片に残らざるべし
亡き子来て袖ひるがえしこぐとおもふ月白き夜の庭のブランコ
松うごく風見てあればまさやかにそこに生けりと吾子を思へり
目さむればいのちありけり露ふふむ朝山ざくら額にふれゐて
白百合の花びら蒼み昏れゆけば拾ひ残せし骨ある如し
ふさはしきそらなり緒琴へやに立て娘が生きてゐし冬の日ありき
眠りつづけ眠り足らひて起きくればきよとんと春の日のをとめなり
われらに代わりこの娘の一生負ひゆかむ人にあへなく傾くこころ
親などは捨てゆくばかり幸せになれよと念じ今日までは来し
月も星も生まなまと面さらしゆく世となりて解けず男をんなのこと
つひにあひえし一人のひとと子があればわれは卵のからの心地す
厨ごと一生のわざとうべなひて嫁かむとす翅をさめし吾子は
子をうみしおぼえある身にひびき来て吾子のみごもりいや深むころ
桃太郎もかぐや姫もかく生ひ立ちけむ翁媼の子育ての日日
かぎりなく愛しきものと別れ棲み老いすさまじくきく風の音
三歳児さへまことのことを言ひしぶり聡きひとみに人を疑ふ
愛執の鬼ともならず静かなる老にも入らず日日の孫恋ひ
おばあちやまはほどけてゐるといはれたり まことほどけてこの子と遊べる