2014年6月22日日曜日

土屋文明

 つちや ぶんめい(1890-1991


 (ほそ)より尾根を横行き冬野の道教へし娘を上村老人覚えてゐる
       
知事筆を揮ひて家持の歌碑を立てり泥を飛ばしてトラック往反す

富の小川佐保川に合ふところみゆ二川(ふたかは)静かに霧の中に合ふ

立ちかへり立ちかへりつつ恋ふれども見はてぬ大和大和しこほし

老あはれ若きもあはれあはれあはれ言葉のみこそ残りたりけれ

富の小川佐保川に合ふところみゆ二川(ふたかは)静かに霧の中に合ふ

年々に若葉にあそぶ日のありてその年々の藤なみの花

(もち)の夜の月はいでむと水の音の静けき山の下をてらしぬ          
ゆふがほの葉下(はした)にのびて覚束(おぼつか)な豆の花には露のしたたる

貧と窮と分ち読むべく悟り得しも乏(とも)しき我が一生(ひとよ)なりしため

消極に消極になるを貧の慣(なら)はしと卑しみながら命すぎむとす

人を悪(にく)み人をしりぞけし来(こ)し方もおぼろになればまぬがるるらむ

ふらふらと出でて来りし一生(ひとよ)にてふらふらと帰りたくなることあり

生みし母もはぐくみし伯母も賢からず我が一生(ひとよ)恋ふる愚かな二人

母に打たるる幼き我を抱へ逃げし祖母も賢きにはあらざりき

乳足らぬ母に生れて祖母の作る糊に育ちき乏しおろかし

寺を出でて冬の日しづかに歩みゆく妬(ねた)みも無けむ生きてゐることは

テグスに代るナイロンも上等は惜しむといふ茜さす夕凪の海に向ひて

葵藿(きかく)の葵(あふひ)ははたしてフユアフヒなりや否や苗を収めて来む春に見む  

葵藿の葵をヒマハリとする博士等がまだ絶えないのも仕方がない

船ゆかずなりたる水は竪川も横川もなべて浮く木の溜め場

この河岸に力つくしてあげし飼料或る時は藁在る時は甘藷澱粉糟(かす)

木綿織らずなりし真岡の町出でて田圃道には箕直しが歩いてゐる

過ぎし人々いかにか山の湖に上り来し別して明治四十二年左千夫先生 

下り立ちて川見る時に嫗(おうな)来て橋の上よりごみを投げ込む

時雨来む七尾の海に能登島に乗らむ船待つ牛乳を飲みて

原爆をまぬがれし与茂平亡きことも赤電話して知る関係なき菓子店に

敷物も代へたのにゴキブリは不思議不思議子等は言へどもまこと出ありく 

背のはげし本の膠はゴキブリの好き餌といへど防ぐ術なし

寝台古りわらやはらかに馴れたればここを城とし籠るゴキブリ

置く毒に中り死にたるゴキブリか後を頼むとわが枕がみ

眠る前の面に来りて散歩するゴキブリを憎む無告の被害者

何の為にゴキブリ我がまはりにはびこるか背のはげ並ぶ本を見るかな

本郷新花町七十年前貸二階に我を攻めしは小形のゴキブリ

食をつめる如き明け暮れの幾月か我とゴキブリ残し世帯主は夜逃

蚊が来なくなりしと思へばゴキブリか吝()しみつづける暖房のため




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