2014年6月29日日曜日

五島美代子

ごとうみよこ 1898年-1978年



夕潮のみちくるなべにわがこころほとほとたへず君を欲りする

我ならぬ生命の音をわが体内(みぬち)にききつつこころさびしむものを

子を持てばこころ貪欲にあり経つつ(つい)に澄むなき(おの)一生(ひとよ)

胎動のおほにしづけきあしたかな吾子の思ひもやすけかるらし

あぶないものばかり持ちたがる子の手から次次にものをとり上げてふつと寂し

いひたいことにつき当つて未だ知らない言葉吾子はせつなく母の目を見る

重態を悟らせじと作りしゑがほがそのまま脱げぬ面となりしか

()が子らを養ふと人の子を(ほふ)りし鬼子母神のこころ時にわが持つ

あけて待つ子の口のなかやはらかし粥運ぶわが匙に触れつつ

あらはなるわが民族の田植のさま手にとる如く空より見られつ

力いつぱい生ききりて吾の枯るるときおのづから子に移るものあらむ

われ一人やしなひましし母の乳焼かるる日まで(ほの)に赤かりき

昨日ありえしこと今日もありと疑はず誇りかにゐるを老醜といふ

戦争中より明らかに眼ひらきゐしといふ人らと異なり凡愚のわれは

けものめく匂ひをたつる時ありて娘が長き髪梳くはなやまし

ある日より魂わかれなむと母と()の道ひそひそと見えくる(ごと)

この向きにて初におかれしみどり児の日もかくのごと子は物言はざりし

花に埋もるる子が死顔の冷めたさを一生たもちて生きなむ吾か

棺の釘打つ音いたきを人はいふ泣きまどゐて吾はきこえざりき

吾に来し一つの生命まもりあへず空にかへしぬ許さるべしや

うつそ身は母たるべくも()れ来しををとめながらに逝かしめにけり

あやまちて光りこぼしし水かとも子をおもふとき更にあわてぬ

いたましき顔しませりと見てあれば夫も同じことをわがかほにいふ

わが(たい)にはぐくみし日の組織などこの骨片に残らざるべし

亡き子来て袖ひるがえしこぐとおもふ月白き夜の庭のブランコ

松うごく風見てあればまさやかにそこに生けりと吾子を思へり

目さむればいのちありけり露ふふむ朝山ざくら(ぬか)にふれゐて

白百合の花びら蒼み昏れゆけば拾ひ残せし骨ある如し

ふさはしきそらなり()(ごと)へやに立て娘が生きてゐし冬の日ありき

眠りつづけ眠り足らひて起きくればきよとんと春の日のをとめなり

われらに代わりこの娘の一生(ひとよ)負ひゆかむ人にあへなく傾くこころ

親などは捨てゆくばかり幸せになれよと念じ今日までは来し

月も星も()まなまと面さらしゆく世となりて解けず男をんなのこと

つひにあひえし一人のひとと子があればわれは卵のからの心地す

厨ごと一生(ひとよ)のわざとうべなひて嫁かむとす(つばさ)をさめし吾子は

子をうみしおぼえある身にひびき来て吾子のみごもりいや深むころ

桃太郎もかぐや姫もかく生ひ立ちけむ翁媼(おきなおうな)の子育ての日日

かぎりなく愛しきものと別れ棲み老いすさまじくきく風の音

三歳(みつ)()さへまことのことを言ひしぶり(さと)きひとみに人を疑ふ

愛執の鬼ともならず静かなる老にも入らず日日の孫恋ひ

おばあちやまはほどけてゐるといはれたり まことほどけてこの子と遊べる



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