2014年4月21日月曜日

社会の動きの中の自分 (1)

岡井 隆(1928年~)


歌といふ傘をかかげてはなやかに今わたりゆく橋のかずかず

わがうちをぎらありぎらり光りつつ人まろがゆき家持がすぐ

存在のはじめよりして呪われし和歌のごとくに生き残りたり

母の内に暗くひろがる原野ありてそこ行くときのわれ鉛の兵

父よ その胸郭ふかき処にて梁からみ合うくらき家見ゆ

眠られぬ母のためわが誦む童話母の寝入りし後王子死す

渤海のかなた瀕死の白鳥を呼び出してをり電話口まで

説を替えまた説をかうたのしさのかぎりも知らに冬に入りゆく

右翼の木そそり立つ見ゆたまきはるわがうちにこそ茂りたつみゆ

群集を狩れよ おもうにあかねさす夏野の朝の「群れ」に過ぎざれば

おれは狩るおれの理由を かの夏に悔しく不意に見うしないたる

以上簡潔に手ばやく叙し終りうすむらさきを祀る夕ぐれ

薔薇抱いて湯に沈むときあふれたるかなしき音を人知るなゆめ

海中(わたなか)へ降りて行かむとねがひたる或る夜の芯に糸杉の渦

原子炉の火ともしごろを魔女ひとり膝に抑へてたのしむわれは

あぢさゐの濃きは淡きにたぐへつつ死へ一すぢの過密花あはれ

歌はただこの世の外の五位の声端的にいま結語を言へば

つきづきし家居(いへゐ)といへばひつそりと干すブリーフも神の仕事場

冷蔵庫にほのかに明かき鶏卵の、だまされて来し一生(ひとよ)のごとし

耐へがたいほどの快楽(けらく)が四肢に来て或る契約に署名せりけり

夕まぐれレーズンパンをむしり食む憎悪に酔ふがごとしひとりは

食道をくだるチーズを(ひと)(つき)の酒に追はせてゐたりけるかも

生きがたき此の世のはてに桃植ゑて死も明かうせむそのはなざかり

独楽は今軸かたむけてまはりをり逆らひてこそ父であること

しづかなる旋回ののち倒れたる大つごもりの独楽を見て立つ

蒼穹は蜜かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶

女とは淡き仮名書きの一行のながるるごとく男捉えつ

女らのさみどりの手に抑へうるか甘くさざなみのやうに軍備費

こころみにお前と呼ばばおどろくかおどろくか否おどろくか否

育てつつ子を捨て続けつつ棲むはやがてしづかに捨てられむため

捨てられし物象としも思はれぬ美しき缶雨うけ初めぬ

今ならばさうも言へるが日没が言葉をころすときの重たさ


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