2013年6月16日日曜日

前川佐美雄

まえかわ さみお
1903年-1990年(明治36年-平成2年)
奈良県南葛城群忍海村(現葛城市)生まれ。神奈川県茅ケ崎市で死去。





なにゆゑに(へや)は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす      
  
春になり(さかな)がいよいよなまぐさくなるをおもへば生きかねにけり

ひじやうなる白痴の僕は自転車屋にかうもり傘を修繕にやる

戦争のたのしみはわれらの知らぬこと春のまひるを眠りつづける

いますぐに君はこの街に放火せよその焔の何んとうつくしからむ

胸のうちいちど空にしてあの青き水仙の葉をつめこみてみたし

鶏のたまごがわれて黄なりしを朝がたさむくひとり見てをり

串にさしし蝗子らはいまだ死にきらずそのけりあしを頻りけりあひ

六月のある日のあさの嵐なりレモンをしぼれば露あをく垂る

遠い空が何といふ白い午後なればヒヤシンスの鉢を窓に持ち出す

こつこつと壁たたくとき壁のなかよりこたへるこゑはわが声なりき

おとうとがアルコール詰にしてゐるは身もちの守宮(やもり)(かな)しき()をせり

あたたかい日ざしを浴びて見てをれば何んといふ重い春の植物

夕ぐれの野をかへる馬の背後(うしろ)見て祖先のやうなさびしさをしぬ        

父の名も母の名もわすれみな忘れ不敵なる石の花とひらけり

たつた一人の母狂はせし夕ぐれをきらきら光る山から飛べり

ゆふ風に萩むらの萩咲き出せばわがたましひの通りみち見ゆ

或る日われ道歩きゐれば埃立ちがらがらと遠き街くづれたり

紫陽花(あぢさゐ)の花を見てゐる雨の日は肉親のこゑやさしすぎてきこゆ

悪事さへ身に()みつかぬ悲しさを曼珠沙(まんじゆしや)()咲きて雨に打たるる

春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ

何ひとつ身に(きず)などはもたなくにむかし母よりわれは生れき         

海鼠(なまこ)さへうすむらさきに眠りゆく暮春のころはいつそ海鼠に

国のまはりは荒波の海と思ふとき果てしなくとほき春鳥のこゑ

野にかへり野に爬虫類をやしなふはつひに復讐にそなへむがため

いきものの人ひとりゐぬ野の上の空の青さよとことはにあれ

野にかへり春億万の花のなかに探したづぬるわが母はなし

いちまいの魚を透かして見る海は青いだけなる春のまさかり

ひもすがら青葉のおくにねむるゆゑうすぐらい魚の(たに)(みづ)のぼる

花あかき椿のかげの石を見る石は水を溜めてすでに老いたり

晩酌は五勺ほどにて世の嘆きはやわが身より消えむとぞする         

春鳥はまばゆきばかり鳴きをれどわれの悲しみは混沌として

われ死なばかくの如くにはづしおく眼鏡(めがね)一つ棚に光りをるべし         

散れるだけ花よ散れよと桃の花振りはらひしをまた瓶に挿す

二十年前のタキシイドわれは取り出でぬ恋の晩餐に行くにもあらず

切り炭の切りぐちきよく美しく火となりし時に恍惚とせり

夕焼のにじむ白壁に声絶えてほろびうせたるものの爪あと

鹿の鳴く飛火野あたり草にゐて黒人兵士さびしき眼せり

ほろびゆくつひの終りを守りあへずわが身をすらも幻にしき        

葛城の夕日にむきて臥すごときむかしの墓はこゑ絶えてある







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