きたはら はくしゅう
1885年ー1942年(明治18年ー昭和17年)
熊本県南関生まれ。福岡県柳川育ち。東京で死去。
春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕べ
しみじみと物のあはれを知るほどの少女となりし君とわかれぬ
いやはてに鬱金ざくらの花咲てちりそめぬれば五月はきたる
葉がくれに青き果を見るかなしみか花ちりし日のわが思ひ出か
ヒヤシンス薄紫に咲きにけり早くも人をおそれそめつつ
かくまでに黒くかなしき色やあるわが思ふひとの春のまなざし
君を見て花梔子を嗅ぐごとき胸さわぎをばおぼえそめにき
寝てきけば春夜のとよみ泣くごとしスレート屋根に月の光れる
ゆく水に赤き日のさし水ぐるま春の川瀬にやまずめぐるも
一匙のココアのにほひなつかしく訪ふ身とは知らしたまはじ
あまりりす息もふかげに燃ゆるときふと唇はさしあてしかな
くれなゐのにくき唇あまりりすつき放しつつ君をこそおもへ
くさばなのあかきふかみにおさへあへぬくちづけのおとのたへがたきかな
ゆふぐれのとりあつめたるもやのうちしづかにひとのなくねきこゆる
薄暮の水路に似たる心ありやはらかき夢のひとりながるる
病める兒はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし畑の黄なる月の出
日の光金絲雀のごとく顫ふとき硝子に凭れば人のこひしき
手にとれば桐の反射の薄青き新聞紙こそ泣かまほしけれ
山羊の乳と山椒のしめりまじりたるそよ風吹いて夏は来りぬ
指さきのあるかなきかの青き傷それにも夏は染みて光りぬ
草わかば色鉛筆の赤き粉ちるがいとしく寝て削るなり
サラダとり白きソオスをかけてましさみしき春の思ひ出のため
さくらんぼいまださ青に光るこそ悲しかりけれ花ちりしのち
金口の土耳古煙草のけむりよりなほゆるやかに燃ゆるわが戀
やはらかに誰が喫みさしし珈琲ぞ紫の吐息ゆるくのぼれる
よき椅子に黒き猫さへ来てなげく初夏晩春の濃きココアかな
カステラの黄なるやはらみ新しき味ひもよし春の暮れゆく
まひる野の玉葱の花紫蘇の花小石けりつつ君とわかるる
いつしかに春も名残となりにけり昆布干場のたんぽぽの花
さしむかひ二人暮れゆく夏の日のかはたれの空に桐の匂へる
ほのぼのと人をたづねてゆく朝はあかしやの木にふる雨もがな
青柿のかの柿の木に小夜ふけて白き猫ゆくひもじきかもよ
白き猫膝に抱けばわがおもひ音なく暮れて病むここちする
いそいそと広告塔も廻るなり春のみやこのあひびきの時
きりぎりすよき淫れ女がひとり寝て氷食む日となりにけるかな
人妻のしみみ汗ばみ乳をしぼる硝子杯のふちの薄きかがやき
栗の花四十路過ぎたる髪結の日暮はいかにさびしかるらむ
湯上りの好いた娘がふくよかに足の爪剪る石竹の花
麻酔の前鈴虫鳴けり窓辺には紅く小さき朝顔のさく
夏はさびしコロロホルムに痺れゆくわがこころにも啼ける鈴虫
燕、燕、昼の麻酔のさめがたに宙がへりして啼くはさびしも
ほのかなる水くだもののにほひにもかなしや心疲れむとする
長廊下いろ薄黄なる水薬の瓶ひとつ持ち秋は来にけり
秋の草白き石鹸の泡つぶのけはひ幽かに花つけてけり
ひいやりと剃刀ひとつ落ちてあり鶏頭の花黄なる初秋
黄なる日に錆びし姿見鏡てりかへし人あらなくに百舌啼きしきる
ふくらなる羽毛襟巻のにほひを新しむ十一月の朝のあひびき
いと長き街のはづれの君が住む八丁目より冬は来にけむ
電柱の白き碍子に凍み細く雨はそそげり冬きたるらし
寂しさに赤き硝子を透かし見つちらちらと雪のふりしきる見ゆ
厨女の白き前掛しみじみと青葱の香の染みて雪ふる
君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ
雪の夜の紅きゐろりにすり寄りつ人妻とわれと何とすべけむ
わかき日は赤き胡椒の実のごとくかなしや雪にうづもれにけり
つくづくと昼のつかれをうらがへしけふもランプを点すなりけり
なまけものなまけてあればこおひいのゆるきゆげさへもたへがたきかな
ひとすぢの香の煙のふたいろにうちなびきつつなげくわが戀
君と見て一期の別れする時もダリヤは紅しダリヤは紅し
驚きてふと見つむればかなしきかわが足の指も泣けるなりけり
時計の針ⅠとⅠとに来たるときするどく君をおもひつめにき
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